三賞同時受賞者の人数・顔ぶれ 〜貴闘力編〜
現在、大嶽親方となって、大鵬部屋を引き継いだ大嶽部屋の師匠として後進の指導にあたっている、元関脇・貴闘力。関脇在位15場所、小結在位11場所の名三役で、優勝も経験している。そして三賞も、史上4位タイとなる14回の受賞を誇っており、まさに常連。中でも敢闘賞は10回も受賞していて、殊勲賞10回の朝潮(現高砂親方)・魁皇、技能賞の鶴ヶ峰と並んで、部門別受賞最多である。
14回目となる三賞を受賞したのは平成12年春場所で、13回目とのダブル受賞だったわけだが、この時点では、受賞回数は史上3位であった。但しその2場所後、魁皇が15回目の三賞を獲得した事により、史上4位となっている。
貴闘力は、琴錦や安芸乃島と共に、時の3大三賞常連力士として、土俵の名脇役の名も欲しいままにしたが、琴錦と安芸乃島が、それぞれ再入幕が苦しくなるや、そして幕内陥落が濃厚となるや、サッと潔く引退したのに対して、貴闘力はギリギリ十両を陥落するまで取り続けた。
あまりこういう言い方はしたくないが、もともと、あの幕尻優勝の場所、幕内から落ちるなら辞める、という決意で土俵に上がり、それがあの奇跡とも言える優勝に結びついた事を考えると、その後十両で大負けしてもなお取り続けたというのは、正直、晩節を汚したという印象を受けずにはいられない。
| 場所 | 受賞三賞 | 三賞 受賞回数 |
三賞同時受賞力士 ()内数字は回数 |
当場所 貴闘力番付 |
当場所 貴闘力成績 |
| 平成2年秋 | 敢闘賞 | 1 | 琴錦(1) | 前頭13 | 11勝4敗 |
| 平成3年春 | 殊勲賞 | 2 | 曙(1)・貴花田(1) | 前頭1 | 9勝6敗 |
| 平成3年夏 | 敢闘賞 | 3 | 貴花田(2)・安芸ノ島 | 小結 | 9勝6敗 |
| 平成3年名古屋 | 敢闘賞 | 4 | 貴花田(3)・琴富士 | 関脇 | 9勝6敗 |
| 平成5年夏 | 技能賞 | 5 | 若ノ花・貴ノ浪 | 前頭6 | 11勝4敗 |
| 平成6年春 | 敢闘賞 | 6 | 琴錦(2)・魁皇(1)・寺尾(1)・小城錦 | 前頭12 | 12勝3敗 |
| 平成6年夏 | 敢闘賞 | 7 | 寺尾(2)・舞の海(1) | 前1 | 9勝6敗 |
| 平成6年名古屋 | 敢闘賞 | 8 | 舞の海(2)・濱ノ嶋 | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成8年初 | 敢闘賞 | 9 | 魁皇(2)・剣晃・玉春日 | 前頭1 | 12勝3敗 |
| 平成8年名古屋 | 敢闘賞 | 10 | 魁皇(3)・琴の若 | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成8年秋 | 敢闘賞 | 11 | 琴錦(3)・旭豊 | 関脇 | 11勝4敗 |
| 平成9年名古屋 | 殊勲賞 | 12 | 栃乃洋・栃東 | 前頭1 | 11勝4敗 |
| 平成12年春 | 殊勲賞・敢闘賞 | 13,14 | 武双山・雅山 | 前頭14 | 13勝2敗[優勝] |
※三賞同時受賞力士で、四股名を青字で書いてある力士は、その場所が唯一の三賞受賞 琴の若、現在は琴ノ若(平成10年秋場所〜11年夏場所は琴乃若) |
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以上、貴闘力の三賞受賞歴と、同時受賞力士の顔ぶれを列挙してみた。同時受賞力士は合計20人で、安芸乃島より5回、琴錦より4回受賞回数が少なくても、同時受賞者の数は20人の大台に乗っている。ちなみに延べ人数では28人で、こちらは30人の大台には惜しくも届いていない。複数回数同時に受賞した力士の顔ぶれを見てみると、琴錦と魁皇が各3回というのは充分頷ける気がするが、三賞の回数自体は決して多くなかった、同部屋の弟弟子貴花田とも3回、それも連続(3場所)で受賞しているというのは面白い。平成3年春場所から名古屋場所にかけてであるが、まさに貴花田が大躍進を遂げてフィーバーがピークに近付き、一方で横綱・千代の富士が引退して時代が大きく転換した時期である。意外に思えたのは、最後の三賞で同時受賞した武双山が、それまで一度も同時受賞がなかった事と、同じ時代の最大の三賞常連だった安芸乃島との同時受賞が、平成3年夏場所に早々と実現してそれ以降1回もなかった事である。その一方で、舞の海と2場所連続同時受賞だったりする。
貴闘力と聞いて何より思い出すのは、あの幕尻優勝であろう。平成12年春場所、私も9日目に観戦に行っているのだが、まさか貴闘力が優勝するとは思っていなかった。貴闘力は平成10年夏場所、中日勝ち越しのあと1勝6敗という成績に終わっており、何となく、終盤崩れそうな気がするな、と思ったのだ。ところが12日目、武双山に勝って12連勝した時から、にわかに私の中でも優勝が現実味を帯びてきた。そして13日目、あの武蔵丸戦、私は貴闘力が不用意に引いて墓穴を掘ったように思えてならなかった。せっかくいい調子で突いて押していて、そのまま押せば好かったのではないかと思うのである。何で急に引いたのかが、スローVTRを見てもよく解らなかった。あのまま押そうと思えば押せていたのにわざわざ引いてしまったのではないか?と今でも感じてしまう。
あの一番で破れ、翌14日目の曙戦でも完敗した時は、相当なプレッシャーで体がガチガチになっているのが痛いほど見て取れた。恐らく、自身、優勝争いを引っ掻き回す役割に徹してきたという貴闘力は、これほどのプレッシャーを想像していなかったのではないだろうか?千秋楽の雅山戦も、もう気力も限界に達しかけていたから、土俵際まで持っていかれたのだと思う。だからあの奇跡の逆転勝ち・・・・・。私も涙が出たものである。
あの優勝の翌場所、貴闘力は小結で2勝13敗と、前場所と逆の成績となった。これは若浪以来史上2人目であった。そして翌年の名古屋場所、貴闘力は十両に落ち、最後優勝決定戦に出るも敗れたが、もし十両優勝していれば、幕内優勝経験者の十両優勝も、若浪・多賀竜に次いで3人目で、一人で2つも若浪との共通の記録を持つところであった。
貴闘力は優勝した場所のダブル受賞(自身初)が最後の三賞となった。琴錦も2度目の優勝の場所が最後である。そして安芸乃島は優勝はなかったが、千秋楽まで優勝争いのトップに並んでダブル受賞をしたから、この一時代の名脇役の座を築いたこの“トリオ”は、ある意味最後は思いっきり派手な活躍をして、三賞受賞の『トリ』としたように見受けられる。
このあたりの偶然性も、また面白い。