瀬戸大橋→高松→松山旅行 [その7] 撮影:1992年8月5日
松山旅行最終日。午前中は松山城を向こうに望む公園を訪ねました。後からこの写真を見て、撮影地をハッキリ思い出せなかったのですが(汗)、インターネットで調べた限り、道後公園だと思われます。前身の道後植物園は1886(明治19)年に開園したという、大変歴史のある公園で、訪問時点で既に誕生100年を超えていました。ここは湯築城跡の辺りでしょうか?真夏には気持ちの良い場所でした。


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道後公園からは、西方向に松山城をよく望めます。薄曇りではありましたが、視界としては申し分ない眺めでした。前方の小山の右辺り、少し上に出っ張りがあるのがお判りでしょうか?それが松山城です。前日には天守閣に入りましたね。


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道後公園内の様子です。木々が生える(映える)、緑豊かな公園でした。
道後公園の中には芭蕉句碑もあり、当時、俳句や短歌を作る趣味があった(今でも稀に詠むことはありますが)私は、暫く見ていたと思います。
折角だから、その写真を撮れば良かった(悔)。


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市街地に戻ってきて、交差点で右折するバスを撮りました。恐らくメトロ窓に目が行ったのだと思います(笑)。
伊予鉄道バス日野RC。年式は不詳ですが、80年前後でしょうか?この時点ではまだ製造後12〜13年で、さほど貴重な古参とも言えず、まだ各地で同型のバスを見ることが出来ました。インターネットで見る限り、97年頃も現役だったようですが、その頃になるとかなりの古参クラスになっていましたね。最終、何時まで走っていたのでしょうか?
2010年代後半の今となっては、本当に懐かしい年式となりましたが、系列の伊予鉄南予バスでは、日本唯一の現役の日野モノコックが走っており、バスマニアの間ではよく知られたところです。


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さあ、いよいよ愛媛県を後にする時がやってきました。松山観光港から広島宇品港までフェリーで移動するため、伊予鉄道で高浜に向かいました。写真は高浜で撮影した300系です。「その5」のページで述べたように、外観は昭和20年代そのもので、実際、車体は昭和25年製なのですが、制御装置は更新されていました。この当時は日中も運用に就いていた300系ですが、95年冬以降は後継の610系に置換えられる形で定期運用から外れ(主に朝ラッシュ時のみ運用)、2000年には完全に運用から外れて事実上引退しました。正確には長期休車の後、2008年に解体されています。写真の303の解体中の様子は、インターネット上でも画像が公開されています。


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初めての四国訪問を無事に終えて、帰りは広島経由で帰阪すべく、宇品行きのフェリーに乗船しました。1枚目は出航後、船の上から遠ざかっていく四国を撮影したものです。
この時点では波も穏やかで、ごく平常の船旅になるだろうと思っていたのですが、途中からにわかに波が強くなり、船が非常に激しく上下に揺れるようになりました。
高波が前方から来る度に船がグワンと押し上げられ、次の瞬間、つっかえ棒を外されたかのごとく、バターン!!!と海面に叩き付けられるのです。これが何回も何回も繰り返されました。
私は進行方向を眺める格好で座っていたので、船体が前から持ち上げられては叩き付けられるの繰り返しを味わっている内に、気分が悪くなってしまいました。船酔いをしたのです。最も、直接の原因は、そんな状況下でずっとテレビを見ていたから(それも見上げる格好で)だと思いますが(汗)。


テレビを見るのを止め、ひたすら前や下を向いていましたが、気分は一向に良くならず。
いよいよ危ないと思った私は、トイレに行こうかと思って席を立ちかけました。するとその瞬間、全く平気な様子で、ふつーに寝ているお年寄りの乗客が目に飛び込んできました。
「なんだ、あの人は全然酔わないのか。すごいなぁ・・・・・・」


思わず感心して見ている内に私は、自分も平気だと言い聞かせて、暫く眠ってみようと思いました。再び着席し、目をつむる、そして船がググーっと持ち上げられた瞬間に息を吸い、バターンと下に落ちた(水平に戻った)タイミングで息を吐くようにしたのです。そしたら何時の間にか眠っていました。気が付いた時、波はすっかり穏やかになり、静かな航行となっていて、船酔いも治まっていました。
「やった!耐えきったぞ」と思いました。思えば13歳の時、中国で天津から大連に行く船でも途中船酔いし、それまで読書をしたいたので直ちに止め、目をつむってひたすら深呼吸をしていたらそのまま眠り、船酔いが治ったことがありました。
睡眠に持ち込んで船酔いを撃退したのは、2度目の事となりました。


さて、下の写真は広島も近くなってきた頃、すっかり平穏に戻った海上を、自衛隊の艦が移動していくのを撮影したものです。場所は呉港付近で、海上自衛隊 呉地方隊の艦だと思われます。


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広島宇品港に到着しました。途中「あわや!」という思いも味わった船旅でしたが、無事終了しました。約1週間ぶりの本州です(笑)。
それにしても広島港、この時は本当にごじんまりとして、昭和の香りそのままの港ですね。いかにも「地方の船乗り場」といった感じです。
85年の正月以来、約7年半ぶりに来ましたが、当時と大きくは変わっていませんでした。


ただ、今現在では大変貌を遂げ、近代的な港に生まれ変わっています。最早、昭和の面影はどこにも残っていません。
現在の姿になった広島港を最初に見たのは、2008年8月です。左写真の撮影から16年が経っていました。
「先代」の広島港を、暫しこの写真で偲んで下さい。


上の写真の画面左に見えるのが、私が乗ってきた「松山観光港広島フェリー」です。
インターネットの画像で見る限り、船自体は現在もそんなに変わっていなさそうですね。


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広島経由で帰ることにした理由は、久し振りに広島市電に乗りたかったからです。初の四国旅行の締めとして、7年半振りの広島市電訪問にもワクワクしていました。
現在は大幅にリニューアルされた広島港駅の、改築前の光景です。今では面影は全くありません。港共々、昭和の雰囲気がよく残っていた電停に停車中の電車は、左が900形(元大阪市電)904、そして右は800形ですが、電柱に隠れて車番は見えません。因みに写真では見えにくいですが、904号の向こう側には1900形(元京都市電)が停まっており、それに乗って出発しました。確か初訪問の時も宇品(当時の名称)から1900形で広島駅方面に向かっており、偶然の一致だと思いました。


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広島港から市電に乗った私は八丁堀で降り、白島線に乗り換えて終点の白島に来ました。写真は白島で折り返し発車待ちの900形906です。実はこの白島こそ、わざわざ広島を経由した最大の理由でした。前回、家族旅行で広島に来た時、この白島線だけは乗っていなかったのです。一日乗り放題の日もあったのですが、ホテル自体は白島線沿いにあったにも関わらず、白島線だけ未乗車で終わるという痛恨のミスを犯し、そのことがずっと頭に残っていました。ハワイ留学のため、あと10日で日本を発とうとしていたこの時、旅立つ前に是非リベンジ≠果たしておきたいと、四国旅行の帰りに広島の、この白島に寄りました。この電車は見送って次に戻ってきた時に乗りましたが(1両で往復している)、この駅に降り立ったことで、私は広島初訪問以来7年8ヶ月越しに、広島電鉄完乗を果たしました。或る意味記念すべき1枚を撮った時の車両となった906は、この時はラッピング塗装でしたが、その後、大阪市電色に戻り、2016年9月再訪の際にも乗車しました。


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さて、白島線往復を果たした後は、広島駅に行ってみました。この日の夜行列車で大阪に帰ることになっていましたが、まだ空も明るい時の広島駅です。見えている車両は1901形で、八丁堀から再び乗ってきた可能性もあります。先ほどの広島港とは対照的に、こちら広島駅は大幅にリニューアルされていてビックリしました。前回訪問時は、まだまだ地方の街の表玄関という雰囲気の駅だったのです。これが、今現在の広島駅の姿でもありますが、すっかり近代的な駅になりました。


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八丁堀〜紙屋町付近での撮影です。画面左、写っている市電は3800形で1986年製、前回訪問時はまだ誕生していませんでした。7年7ヶ月振りにやってきて、やはりその間に誕生した新型車両に乗るのも、この時の目的でした。それを果たす前に先ずは撮影です。一方、その右側に写ったバスは広島交通(通称広交)ですが、側面の窓の位置がかなり高いのが特徴的です。この【窓高】バスは、車内が長距離仕様のシートになっていて、2016年訪問時は貴重な旧型でもあったことから乗車しました。92年のこの時はまだ新鋭の部類。全国のバスでも、写真の58MCが全盛期だった頃です。


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真夏の広島訪問でしたが、すっかり夜になりました。江波車庫の様子です。上の写真の3800形にはその後乗車しました。そして江波まで乗ってきた車両は失念しましたが、この写真では900形915が横川に向けて出庫せんとしています。その隣は700形ですね。広島電鉄は宮島までの鉄道線もありますが、滞在時間6時間強だったこの時は、市内線のみを乗り回していました。いよいよ旅行も終わりに近付いているのを感じた時・・・・・・。


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800形810の広電前行きです。下車後に撮影しました。大きな方向幕に「広電前」だけ書いてありますが、現在なら「0広電前」となるところです(0は入庫が絡む区間運転の時の系統番号)。今見れば、こういうちょっとした部分に時代を感じますね。800形自体は前回訪問時にも目撃しましたが、この810は正面スタイルが大幅に変わった2次型車両で、この年(1992年)に登場したばかりでした。まさに出来たてほやほやの新車に乗れたことになりますね。この時、時刻はもう22:30を回っていたと思います(ゆえに終電も近く、入庫系統)。810に乗る前には、己斐(西広島)から最新形式の3900形にも乗車出来ています。前回からの変化も大いに堪能出来て、満足出来たところで広島駅に戻り、帰りの夜行列車を待ちました。


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さあ、7泊8日、恐らく自己最長であろう一人旅行の結びです。今は無きブルートレイン「さくら」に乗って、広島から大阪に向かいました。当時はまだ山陽本線にも当たり前のようにブルートレインが走っており、東日本でも西日本でもその姿を見ることが出来ました。本当に時代が偲ばれます。牽引している機関車はEF6647です。これも懐かしいですね。寝台車での帰阪というのも、なかなか味わいがありました。特急「さくら」の乗車時間は約5時間、8月6日の早朝に大阪に到着するまで、眠れたのは2時間ぐらいでしょうか。
この10日後、私は留学のためホノルルへと旅立つことになります。6月上旬に大学合格が決まっており、この旅行は言わば合格祝い、そして当分日本を離れる前の記念旅行でした。来たる新生活への思いも馳せながらの、特急「さくら」での移動となりました。


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※広島旅行1回目のページは、こちらよりどうぞ。




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