『一行ネタ』の頁へようこそ。この頁では、文章にすると本当に一行で済んでしまうのではないかと思われる様な、
細かくて一層地味な記録を列挙していこうと思います。





1.第55代横綱・北の湖は、新国技館最初の場所である昭和60年初場所2日目の一番を最後に引退。その時の相手は多賀竜であった。
さて、その前の昭和59年九州場所、北の湖は5日目に通算804勝目を挙げ、これが現役最後の白星となったが、この時の相手も多賀竜だったのだ。
現理事長である北の湖は、偶然にも生涯最後の白星と黒星の相手が、同じだったのである。






2.今やかつてのハワイ勢力に変わる、外国人勢の中の最強勢力となったモンゴル勢、このモンゴル勢の中で、最初に中日勝ち越しを果たした力士は誰だろうか?
「そりゃ朝青龍に決まってるじゃないか」と思われるだろうが、実は意外にも(失礼)、旭鷲山なのである。
平成14年夏場所、旭鷲山は中日八日目に、玉乃島を送り引き落としで破ってストレート勝ち越し決定。その後、4連敗したが、結局10勝5敗と二桁勝って、32場所ぶり2度目の技能賞(三賞自体も32場所ぶり2度目)を受賞した。旭鷲山の中日勝ち越しはこの後、平成16年秋場所にもある。
翌名古屋場所、当時関脇4場所目だった朝青龍が初めての中日勝ち越しを成し遂げて、結果は12勝3敗。場所後、大関に昇進し、翌年初場所まで4場所連続中日勝ち越しを達成した。






3.一時は直ぐにも大関に上がるかと思ったのに、万年候補の感が出てきた琴光喜。
琴光喜は、平成13年秋場所に平幕優勝を果たし、翌場所三役に復帰(関脇)したが、9勝6敗と勝ち越し。平幕優勝翌場所に三役で勝ち越した、数少ない例となった。
更に次の場所12勝3敗、その次も8勝7敗で、平幕優勝翌場所から3場所連続勝ち越したのは琴光喜が初めてである。しかも、優勝翌場所の勝ち越しが、自身にとって初の、関脇での勝ち越しとなった。
因みに、平幕優勝後、横綱まで上り詰めた佐田の山は、優勝翌場所が平幕であった。また、昭和35年夏場所に平幕優勝を果たした若三杉は、翌場所7勝8敗と負け越しているが、関脇まで上がっていたので翌場所は小結となって三役は維持。そして2場所連続小結で9勝を挙げた。






4.これまで、1年6場所、全て幕内で務め、尚且つ負け越した力士は3人いる。
昭和50年の福の花(現関ノ戸親方)、昭和58年の大潮(現式秀親方)、そして、平成15年の貴ノ浪(現音羽山親方)である。
この内福の花と大潮は、年6場所負け越した翌場所は幕内から姿を消し、その後二度と幕内で勝ち越せる事は無かった。それに対して貴ノ浪の場合は、6場所連続負け越し明けの平成16年初場所も番付は幕内にあって(前頭10枚目)、しかも勝ち越しを決めている。これは初めての記録となった。しかし、結局これが最後の勝ち越しとなり、この2場所後、引退した。






5.およそ連敗に関する記録なんて縁の無さそうな横綱・朝青龍だが、平成15年の秋場所と16年の名古屋場所、何れも13勝2敗で優勝し、2敗というのが連敗だった。
平成15年秋の時は12日目と13日目に、そして16年名古屋では11日目と12日目に、それぞれ連敗したのであるが、この時の相手がどちらも栃東と若の里、同じ力士だった。ただ、順番はお互い違っていて、15年秋では若の里が初黒星を付けているが、16年名古屋では栃東のほうが初黒星を付けている。
横綱は、負ける場合は相手もほぼ決まってくるということを、暗示しているのだろうか?






6.平成16年春場所の朝赤龍と翌夏場所の北勝力は、いずれも平幕ながら13勝2敗という大勝ちを果たした。しかしその翌場所は、二人とも3勝12敗。一転して大不振に陥っている。因みに13勝を挙げた場所は、2人とも若の里に敗れている。優勝した朝青龍に2回勝っている事といい、若の里はとにかく大勝ちする力士にさり気なく土を付けるのが得意なのかも知れない。
さて、朝赤龍は、3勝と大負けした翌場所は、また11勝4敗と大勝ちし、盛り返してきた。果たして北勝力のほうはどうなるのか?






7.琴錦は、平成4年秋場所、実質新大関(実際に新大関だった前場所を全休したため)だった曙の初日の相手となり、更に翌年春場所、新横綱となった曙の初日の相手ともなった。曙は、新大関、新横綱の場所の初日の対戦相手が、同じということになる。また、武蔵丸も、新横綱初日の対戦相手は琴錦であり、琴錦は、一人で二横綱一大関の、昇進場所初日の相手を務めたことになった。






8.第59代横綱、隆の里は、横綱在位15場所であったが、その内実に6場所の初日が同じ相手という珍記録を残している。その相手とは、保志(のち北勝海)である。
昭和59年初・秋・昭60年初・名・秋・昭61年初の、計6場所が、初日の対戦相手が保志であった。よほど保志が、隆の里の初日の相手として相性が良かったとも言えるが、保志が新入幕を果たしたのは、隆の里が新横綱だった昭和58年秋場所であり、最後に初日に隆の里と対戦した昭和61年初場所の一番は、隆の里自身にとって現役最後の一番であった。偶然とは言え、何とも興味深い事実である。因みにこの6回の初日対戦の成績は、隆の里が2連勝のあと、4連敗となっている。






9.平成12年と13年は、いずれも春場所優勝力士の星勘定が、 ○○○○○○○○○○○○●●○ であった。
初日から12連勝し、13・14日目と連敗した後、千秋楽を白星で飾り、優勝も千秋楽に決まった。平成12年の時は、貴闘力が優勝し、連敗の相手は、武蔵丸・曙の2横綱であった。一方、13年春の優勝者は魁皇で、連敗の相手は武蔵丸・貴乃花の2横綱であった。
つまり、連敗した相手はどちらも、その場所優勝力士が対戦した横綱であり、しかも最初(13日目)の相手は武蔵丸という事も共通している。貴闘力、魁皇とも、連敗した相手以外に横綱とは当たっておらず、元々横綱に強い両力士が、横綱のみに敗れて優勝したという例になっている。






10.かつて琴錦・琴ノ若の佐渡ヶ嶽コンビは、武蔵丸に非常に強かった。大関時代の武蔵丸には、3連勝・4連勝は当たり前。その武蔵丸が横綱に昇進し、琴錦・琴ノ若には、さらに横綱戦白星が増えるチャンスが到来したかに思われた。
しかし、琴錦は、横綱昇進後の武蔵丸に3戦3敗で結局幕内から陥落→引退。一方の琴ノ若も、不戦勝を除き、9回対戦して1度も勝てなかった。これは大変意外としか言いようがないが、武蔵丸も綱を締めてからは、この佐渡ヶ嶽コンビに対する『要警戒度』を強めていたのだろうか?
ちなみに琴錦は、もし横綱・武蔵丸に勝っていれば、部屋の先輩、長谷川と並んで、最高位関脇で7横綱に土をつけるという快挙を成し遂げていたところだった。また琴ノ若も、武蔵丸に勝てば、対戦した全横綱に土をつけていたことになる。元々得意の相手だっただけに、惜しまれる“全敗”である。






11.3代目若乃花(元若花田)は、大関としての初優勝(通算2度目=平成7年九州)と、その次の優勝(=平成9年初)の翌場所はいずれも途中休場。そして3度目の“優勝翌場所”(=平成10年夏)で綱とりを成功させた。
一方、魁皇は大関としての初優勝(通算おなじく2度目=平成13年春)と、その次の優勝(=平成13年名古屋)の翌場所はいずれも途中休場。そして3度目の“優勝翌場所”(=平成15年秋)も、皆勤はしたものの、千秋楽に負け越した。平成16年九州、4度目の優勝翌場所で綱とりを成功させるか?






12.現在の春日野親方は、元関脇・栃乃和歌清隆で、年寄名称は春日野清隆となっている。一方、先々代の春日野親方は、元横綱・栃錦清隆で、年寄名称は春日野清隆であった。先代を挟んで、2人の(二代の)春日野親方が、まったく同じ「下の名前」を持つ結果になったのだった。しかも奇遇なことには漢字まで同じである。今もし、『年寄・春日野清隆』という名前をオールドファンが見たら、思わずかつての栃若時代の雄、栃錦が生き返ってきたか?と思うかも知れない。
ちなみに2人の春日野清隆のうち、元栃乃和歌は本名の下の名も清隆であるが、元栃錦は、“清”であった。栃乃和歌は、元栃錦の春日野親方が育てた、最後の役力士である。






13.元関脇・巨砲(現楯山親方)は、平成2年九州場所、前頭2枚目にいた。前の場所は前頭8枚目で勝ち越し。そしてこの場所は、第63代横綱・旭富士が横綱2場所目であった。本来なら、巨砲はこの九州場所、旭富士と対戦していてもよかったはずだ。現に他の3横綱(この場所は4横綱が皆勤)とは対戦している。しかし何故か最新の横綱、旭富士とだけは対戦がなく、その2場所後、前頭5枚目に戻ってきたときも、大乃国との対戦はあったが、旭富士とはなし。結局巨砲は、横綱・旭富士とは1度も対戦しないまま引退した。実は巨砲は、54代横綱・輪島〜62代横綱・大乃国までの、計9人の横綱と対戦しており、もし旭富士と対戦していれば、ちょうど10人の横綱と対戦したことになって、これは史上3位タイ。対戦横綱数2桁という、長寿の勲章ともいえる記録を樹立していたことになる。ある意味惜しまれる、対横綱・旭富士戦ゼロの結果であった。






14.最高位関脇の琴ノ若は、平成16年、春場所と秋場所の2回敢闘賞を受賞した。春場所のときが35歳10ヶ月、秋場所のときが36歳4ヶ月であった。そしてこの、最年長関取による年2回三賞受賞という点ではやや近い記録が、過去にも達成されていた。昭和56年春場所と名古屋場所に、高見山が敢闘賞を受賞したのがそれで、高見山は受賞当時の年齢がそれぞれ36歳10ヶ月と37歳2ヶ月なので、琴ノ若よりも更に1歳上だったことになる。両者、この2回の三賞受賞で、敢闘賞が計5回になったこと、ほかに殊勲賞を受賞した経験があって技能賞は無しということ、さらに190cmを越える大型力士であったことが共通しているが、高見山は殊勲賞を6回受賞していたのに対し、琴ノ若は2回。そして三役経験も、関脇より小結のほうが圧倒的に多い点は共通しているのだが、高見山は関脇8、小結19の計27場所で、史上5位に名を連ねているのに対し、琴ノ若のほうは、関脇2、小結7の計9場所で、割と少ない数字である。因みに幕内在位は、高見山が97場所で史上1位。琴ノ若は平成16年九州場所現在で84場所で、史上4位タイ。






15.貴闘力は、武蔵丸に18連敗したことがあり、大の苦手だった。しかしその後はコンスタントに白星を挙げ、終わってみれば8勝はしていた。しかもうち7勝が大関時代の武蔵丸で、貴闘力の倒した大関の中で、もっともたくさん勝った相手となった。さて、貴闘力が対武蔵丸戦の連敗を18で止めたのは、平成8年名古屋場所。そして次の秋場所も勝って連勝している。翌平成9年は名古屋・秋・九州と3連勝、さらにその翌平成10年は秋・九州と連勝している、この結果、平成8〜10年の3年間で、武蔵丸に勝った場所は、『名古屋・秋』、『名古屋・秋・九州』、『秋・九州』と、きれいにパターン化したことになった。もっぱら年の後半に武蔵丸に勝っていたことになり、特に秋場所は3年連続だから、この場所に限っては武蔵丸に強かった。ちなみに貴闘力が初めて武蔵丸に勝った(=18連敗する直前)のは、平成4年の秋場所。やはり秋場所は武蔵丸戦と相性が好かったようだ。






16.魁皇は大関昇進以前、三賞を15回獲得。内訳は殊勲賞10回、敢闘賞5回で、殊勲賞の受賞回数は歴代最多タイという、大物キラーらしい記録を作っていた。そして福岡県直方市出身の魁皇は、御当所である九州場所ではそれはそれはすさまじい人気を誇るわけであるが、何故か魁皇は地元九州では、あれほど常連だった殊勲賞の受賞が1度も無い。10回も受賞しているのに意外であるが、受賞した場所は、初場所が2回、春場所が3回、夏場所が2回、名古屋場所が2回、秋場所が1回で、つまりは地元九州以外の場所では全場所で受賞している。大物キラーだが、御当所ではプレッシャーのあまり本領を発揮出来なかったのだろうか?因みに優勝も、初優勝が東京、2度目が大阪、3度目が名古屋で、九州は1番最後ということになった。
魁皇は、九州場所では優勝決定戦にも1度出場しているし、三賞も3回受賞しているが、いずれも敢闘賞である。ちょっと意外な記録と言える。






17.栃東は平成17年初場所、史上初の2度目の大関返り咲きを決めたが、これは関脇に落ちたその場所で規定の10勝以上をクリアしての復帰だった。そして栃東、1度目の復帰の時は10勝5敗の成績だったが、2度目は11勝4敗となり、これも史上初の、11勝以上を挙げての大関規定返り咲きとなった。過去、三重ノ海、貴ノ浪、武双山、そして栃東の1度目の、計4人が、10勝5敗で大関規定返り咲きを決めている。






18.大関・千代大海は、平成17年初場所が通算6度目のカド番で、成績は14日目に勝ち越しての8勝7敗だった。
過去5度のカド番の成績は、それぞれ10勝5敗(平11.7)、12勝3敗(平13.5)、13勝2敗(平14.1=優勝同点)、11勝4敗(平14.5)、そして12勝3敗(平15.3=優勝)で、全て2桁の好成績。カド番優勝や、優勝同点の経験もあり、カド番に強い千代大海というイメージが強かった。そんな中、6度目では始めて、6敗をしてから勝ち越しの1桁勝ち星となった。カド番場所に限らず、是非また優勝にも通ずるような成績を挙げて欲しい。






19.土佐ノ海は、平成15年九州場所7日目、横綱・武蔵丸の現役最後の対戦相手となったが、同年初場所に引退した貴乃花の時も、最後の白星の相手となっている。平成13〜15年に東西を分けた横綱両方の、それぞれ最後の黒星と白星の相手となったわけである。因みに現在横綱の朝青龍との一番に関しては、ただ一度、朝青龍が不戦敗となった時の相手が、土佐ノ海となっている。






20.白鵬は、新関脇だった平成17年春場所が幕内在位6場所目であり、成績は千秋楽に勝ち越しての8勝7敗だった。そして白鵬の幕内最初の6場所の成績を見ると、
12勝3敗(平16夏=前16)、11勝4敗(同名古屋=前8)、8勝7敗(同秋=前3)、12勝3敗(同九州=前1)、11勝4敗(平17初=小結)、8勝7敗(同春=関脇)
となっている。奇しくも3場所ワンセットで、同じパターンの星勘定(成績並び)が2回続いていることになり、なかなかユニークな展開と言える。
この調子でいくと、関脇2場所目の平17夏は12勝3敗で大関に王手、同名古屋で11勝4敗で2場所連続関脇で大勝ちして大関を射止め、その代わり新大関の同秋場所は8勝7敗に終わる・・・・・???? ほんのシャレのつもりで書いてみました。






21.現間垣親方である横綱・2代若乃花は、昭和53年九州場所全勝優勝、翌54年初場所も初日から11連勝し、連勝は26まで延びた(全勝優勝の前場所は、千秋楽に敗戦)。しかし、12日目、全勝が止まると、その後は何と4連敗。更にその翌場所である54年春でも、初日は黒星スタートとなった。結局若乃花は、26連勝という立派な記録の後は、一転5連敗という不名誉な事態に陥るという、“落差”を味わった。






22.『サーカス相撲』の異名をとり、いっときの大関候補最右翼だった栃赤城は、昭和54年九州場所、4勝5敗から6連勝して10勝と、二桁に乗せた。そして翌55年初場所、初日から7連勝。栃赤城は最高位関脇ながら、比較的珍しいであろう13連勝の記録を作ったのだった。平成9年春場所から夏場所にかけて、小城錦(現中立親方)が11連勝を果たして話題になったことがあったが、それを上回る連勝記録を出していたのだった。貴ノ浪(現音羽山親方)も、大関時代の平成9年秋場所から九州場所にかけて17連勝して、本人も話題にしていた事がある。こうした事を考えると、栃赤城の13連勝の記録というのは、ちょっとした『大関格』という事が出来る。因みに、栃赤城連勝の前半となった昭和54年九州場所は、一場所3金星の珍記録を成し遂げた場所でもある。






23.現山科親方の大錦は、昭和60年夏場所6日目、大関・琴風を破り、琴風は翌日から休場(大関陥落決定)。休場前日の大関の対戦相手となった。更に翌名古屋場所7日目、大錦は大関・若嶋津を破り、若嶋津は翌日から休場。またも自分の対戦した大関が、翌日から休場するという事態となった。このような記録もあまり多くないと言えるだろう。因みに大錦はこの年の九州場所5日目、横綱・隆の里から不戦勝を得ている。そして隆の里からは、昭和59年九州場所でも、3日目に不戦勝となっており、対横綱隆の里戦、2勝して両方不戦勝という、これまた珍記録を作った。なお、大関時代の隆の里には一度実戦で勝っており、この時はその後、大錦自身が途中休場している。






24.大関・千代大海は、史上最多タイの7度目のカド番となった平成17年夏場所、終盤4連敗しながらも10勝5敗と、二桁勝った。この結果、千代大海は、7度のカド番中6度が二桁となった。一方、平成17年春場所で6度目のカド番となった魁皇は、翌場所の千代大海と同じく10勝5敗だったが、魁皇も6回のカド番全てが二桁という成績で、綱とりのプレッシャーには滅法弱いものの、カド番には逆に大層強いという一面を窺わせている。千代大海の、過去のカド番場所の成績はこちらで述べているが、魁皇のカド番場所成績は、13勝(優勝)、10勝、12勝(準優勝タイ)、10勝、10勝、10勝である。平成17年夏場所にまたも途中休場し、翌名古屋場所ではこちらも史上最多タイのカド番回数になるという魁皇。またも二桁で切り抜け、史上初の、カド番7回全て二桁勝ち星という記録を出す事ができるか?






25.新入幕で三賞を独占し、『佐渡の怪物』と言われた大錦(現山科親方)。入幕二場所目でいきなり小結に抜擢されてからは、結局三役に戻れる事はなかったが、実は少なくとも1度、千秋楽のこの一番に勝てば間違いなく三役に復帰出来ていたという一番があった。昭和60年秋場所の、対保志戦である。この時大錦は、東前頭7枚目で8勝6敗。一方の保志は東小結で7勝7敗であり、言わば三役入れ替え戦の意味合いを持つ一番となっていた。結果は保志が勝って三役を守り、敗れた大錦は、翌場所西前頭筆頭となった。さて、60年秋場所、西の前頭7枚目だった琴ヶ梅は9勝を挙げ、翌場所一気に西の小結に進んだ。この事から、もし東の7枚目の大錦が千秋楽9勝目を挙げていれば、翌場所は間違いなく三役復帰となっており、新三役以来、実に12年ぶり2度目の三役という、史上最長の『間隔復帰』の記録が誕生していたところであった。まさに『奇跡の三役復帰』となっていたであろうだけに、この、昭和60年秋場所千秋楽の敗戦は、大きな一敗であった。






26.平成14年秋場所千秋楽、39歳の超人気力士寺尾が、現役最後の土俵を白星で飾ったのは記憶に新しい。軽量ながら若々しい相撲で、まだまだ取れるのではという余韻を残しての引退であった。さて、寺尾ほど派手ではなく、また高齢でもなかったが、細身の力士で現役最後の土俵を白星で飾った力士がいる。現湊川親方の、大徹である。平成2年の、奇しくも同じ秋場所千秋楽、大徹は、弟弟子の大善の十両復帰を決定付けることにもなる大きな白星を、現役最後の一番として挙げた。なかなか粋な引き際だと思ったものだが、軽量の二枚目派として印象に残る2力士、秋の土俵で、最後まで全力で勝ちをもぎ取る土俵を務めたのだった。






27.横綱、千代の富士は、新横綱の昭和56年秋場所、初日の対戦相手が蔵玉錦だった。そして実は蔵玉錦とは、新序ノ口だった昭和45年九州場所でも、7番相撲で対戦している。当時蔵玉錦は本名の安達、また千代の富士も大秋元という四股名だった。新横綱の時は千代の富士が勝ち、翌二日目、隆の里に敗れた一番で怪我をして途中休場したため、記念すべき新横綱の場所唯一の白星が、蔵玉錦戦となった。そして新序ノ口の場所は、大秋元は5勝2敗。一番相撲で玉泉に敗れており、通算1,045勝の大横綱も、スタートは黒星だったとして話題になった事もある。そしてもう一人黒星を付けた相手が安達だったのだ。安達は、大秋元の四股名だった千代の富士に土を付けた、ただ二人の力士の内の一人となった。そして、11年の時を経て、新序ノ口と新横綱の同一力士と対戦するという珍記録を残したのだった。因みに蔵玉錦の初土俵は、千代の富士と同じ昭和45年秋場所。新横綱初日の相手が同期生というのも、思えば珍しいのかも知れない。






28.千代の富士の天敵として、真っ先に名前が浮かぶのは隆の里(現鳴戸親方)であろう。しかし実は、番付こそまだ幕下〜十両時代であったが、千代の富士に滅法強かったもう一人の“キラー”がいた。その名は栃勇。現在の岩友親方である。栃勇は、千代の富士との初顔が、幕下だった(この時点で栃勇は元幕内)昭和48年九州場所、そして翌49年初場所も続けて対戦したが、いずれも勝った。そして、千代の富士十両2場所目、3場所目だった昭和50年初、春場所にも対戦して、この両場所も栃勇が勝ったため、初顔から4連勝となった。5度目の対戦で千代の富士が勝ったが、その後、また栃勇が3連勝で千代の富士の1勝7敗。まさに天敵と言える数字だった。結局通算では千代の富士の4勝9敗。最後、昭和52年九州場所の対戦で勝って終わった。対千代の富士戦の勝率は、隆の里よりも高い。栃勇は、下位時代の千代の富士における、最大のキラーであった。






29.琴錦は、最大の安芸乃島キラーとしてもよく知られていた。対戦成績は39勝9敗。あと1勝で40勝に届いていたのに・・・・・、と思う人もいるだろうが、実は『届いていた』のである。琴錦は、幕下時代に安芸乃島と2回対戦していたのだ。昭和62年の夏場所と翌名古屋場所で、夏場所では安芸乃島が勝ったが、名古屋場所では琴錦が勝った。しかも名古屋場所は安芸乃島が新十両だったから、琴錦は大銀杏を結って土俵に上がっているはずである。恐らく琴錦が大銀杏姿で最初に勝った相手というのは、安芸乃島ではないだろうか?そしてその1勝こそが、この後幕内で39回勝って対安芸乃島戦40勝の記録をもたらす始まりの白星となったのだ。安芸乃島は幕内では琴錦に初顔から2連勝した。しかし、その前に十両で一度敗れていたのである。そして通算50回対戦で10勝40敗であった。






30.共に九州出身だった寺尾と琴別府。九州場所で対戦があれば沸きそうな顔合わせであったが、この両者、幕内に同時に26場所もいながら、対戦が3回だけだったのである。1回目は平成6年秋場所。この時は、後から入幕した琴別府が幕内12場所目であった。この一番、アナウンサーが、「意外な事に、初顔の一番です」と言っていたのをよく覚えている。そして2回目の対戦はそれから約1年半後の平成8年初場所。この時は寺尾の勝ちで、3回目はすぐ次の春場所。今度は琴別府が勝った。もう少し対戦が多くても当然なはずの両者であったが、顔合わせの回数に関しては、不思議な記録は時々発生する。私の記憶では平成6〜7年頃、やけに毎場所顔が合っていたのが、隆三杉ー春日富士だった。また琴錦は、平成11年初場所に入幕した千代天山と、比較的近い位置にいたにもかかわらず、共に幕内にいた8場所の間、一度も対戦が無かった。






31.本ページの題目24で、魁皇が、千代大海とともにカド番で6回二桁白星を挙げたと述べたが、その後、魁皇は7度目のカド番を経験、脱出して成績は10勝5敗だった。これで4回連続カド番で10勝5敗となり、同じ成績ばっかりカド番として4回も続くのは、恐らく史上初めてではないかと思われる。そしてまた、7度のカド番が全て二桁という記録も作った。そもそも魁皇は、皆勤して一桁勝ち星だった場所自体、平成17年名古屋場所終了現在で、14年初場所の9勝6敗と、15年秋場所の7勝8敗の2回しかなく、在位30場所と比較的長寿ながら、一桁が2回のみというのも、貴重な記録ではないかと思う。何より、5年も大関を務めていながら、8勝7敗が一度も無いのが面白い。






32.かつて、軽量のスロー出世力士で、貴ノ嶺という力士がいた。平成元年春場所では幕内にも昇進し、当時のスロー出世記録第一位となったのだが、その貴ノ嶺、四股名からして藤島部屋→二子山部屋の力士だったと思う人もいるだろう。実際、貴ノ嶺が十両で活躍していた頃に、貴闘力や貴花田も昇進してきた。だから余計間違えそうになったとも思うのだが、実は井筒部屋の力士であった。初土俵が昭和49年で、まだ『貴』の四股名を頭に付ける元貴ノ花の藤島親方(貴ノ嶺現役当時)が現役バリバリだった頃。『貴』が頭字の四股名が、特定の部屋の四股名を指すという状態が生じる前であった。本当に、ある意味入門した時代が物語れるような、“異部屋の『貴』力士”であった。






33.平成17年秋場所で、8度目のカド番を迎えるなど、苦しい土俵が続く千代大海だが、最近微妙に変化してきているところがある。それは塩のまき方である。以前は最初から最後まで、師匠そっくりの、右手を水平に延ばす格好のまき方だったのだ。それが、17年夏場所あたりからだろうか?ハッキリとは確認出来ないのだが、ごくスタンダードに(?)、腕を縦にした状態で下から上へポンとまくやり方が混ざるようになってきた。以前のまき方は、気合いが入っている時に現在でも見られるような気がする。やはり8度もカド番を経験して、大横綱似の塩まきをするのは、『顔じゃない』と思い始めたのだろうか・・・・・?






34.私は平成16年1月、元大関・貴ノ浪の断髪式に行った。その時実況のアナウンサーがこう語っていた。「貴ノ浪のもつ史上一位の記録。それは、大関陥落後24場所も取った力士は貴ノ浪しかいません。」正確には小錦も陥落後24場所取ったから、タイ記録なのであるが、いずれにしても、『大関陥落後、現役在位24場所』は、最早史上一位の記録ではなくなった。何故なら、平成13年9月に大関から陥落した出島が、17年秋場所現在で陥落25場所目。貴ノ浪と小錦を抜いた。そして、出島の翌場所(平成13年11月)に大関から陥落した雅山も、17年九州で陥落後25場所となる。今後は、この武蔵川勢の元大関コンビが現役でいる限り、陥落後の現役期間は1位が出島、2位が一場所差で雅山ということになる。






35.黒海は、平成17年夏場所6日目、大関・魁皇から不戦勝を挙げた。そして、一場所置いた同年秋場所4日目、またも同じ魁皇から不戦勝。
同一相手から2度不戦勝を得た記録は、北天佑が千代の富士から、大錦が隆の里からそれぞれ挙げるなど、他にも例があるが、僅か2場所ぶりという間隔の短さは、ちょっと例がないのではないだろうか?因みに黒海は、実戦でも魁皇に3回も勝っており(平成17年9月現在)、かなりのキラーと言える。中でも平成16年秋場所には、13勝2敗で優勝した魁皇に勝っている。






36.横綱・朝青龍は、平成17年秋場所、11日目で2敗しながら見事優勝を果たしたが、実は朝青龍は過去11日目に2敗目を喫した場所が2場所あり(平成16年夏場所、17年名古屋場所)、いずれも優勝している。
そう。朝青龍にとって、11日目での2敗目というのは、追いつき→逆転優勝への『マジック』なのである。実は17年秋場所も、まだ残り4日あったし、横綱に出来つつあるこの“ジンクス”を信じて見守っていたら、本当にそうなった。






37.対横綱戦に関して、何かと記録を持つ魁皇であるが、実は過去4人の新横綱と対戦した内、3人に土を付けるという記録も持っていた。魁皇は平成7年初場所、7度目の挑戦で初めて貴乃花に勝った時が、貴乃花新横綱の場所だった。そして平成11年名古屋場所の武蔵丸、15年春場所の朝青龍と、いずれも相手が新横綱という時に勝っている。ちなみに横綱曙にも平成6年春場所、初顔で勝っている。一方千代大海は、こちらは3人の新横綱と対戦して全勝という記録を持っており、まさに『新横綱キラー』である。相手は平成10年名古屋場所の若乃花、11年名古屋場所の武蔵丸、そして15年春場所の朝青龍である。武蔵丸戦は、千代大海が新大関だった1回前の対戦で、鼻を骨折して休場に追い込まれた因縁の対戦であった。また朝青龍には、今でこそ全然勝てなくなったが、相手が新横綱の時は千秋楽、お互い3度目の優勝を懸けて対戦し、勝って優勝を決めている。






38.旭天鵬は、大関・武双山に非常に強く、対戦成績も13勝10敗と勝ち越している。中でも平成12年と13年のいずれも春場所、ともに12勝3敗の好成績を挙げた時の武双山に勝っているのは値打ちがある。いわば全盛期の武双山に土を付けたことになるのだ。ただし、この両場所、旭天鵬の成績は意外にも不振で、平成12春は4勝11敗、平成13春に至っては、何と3勝12敗と大負けだったのである。特に平成12年の時は、不戦勝1を含んでいるとはいえ、1横綱2大関に勝っての4勝だけに、これは昭和63年春場所、3大関に土を付けながら4勝11敗に終わった恵那桜を連想させるものがある。調子の悪い武双山に勝った時は結構勝ち越している率も高いのに、何で相手が好調の時に勝つとその時に限って不成績なのか?謎なところである。






39.貴闘力は、平成5年夏、平成10年夏、そして平成12年春と3回中日勝ち越しを果たしたが、これは最高位関脇の力士としては、なかなか珍しいのではないかと思う。2回なら、琴錦も成し遂げているし、意外と旭鷲山も成し遂げているのであるが、3回となると、貴闘力以外ちょっと浮かんでこない。そして平成5年はまだ若手だったが、あとの2回は30の大台に乗ってからであり、ベテランになってから、2年以内に2回というのも、なかなかない記録だと思う。






40.栃乃洋は、土佐ノ海とともに金星獲得11個、これは現役1位、史上3位の記録であるが、中でも横綱・3代若乃花には全勝している。大関時代の若乃花には、栃乃洋は1勝4敗だったのだが、横綱昇進後の若乃花には、一転4戦全勝(不戦勝1を含む)。この間、三役も一場所もない。専ら平幕で期間を過ごしていた力士が、横綱に4連勝というのも、ちょっと見られない記録ではないだろうか?因みに、一度3場所連続金星も成し遂げている。また、平成15年初場所には、昭和57年春場所の麒麟児以来史上2人目の、初日から4連敗の後、5日目から11連勝の記録も作っているが、この記録で麒麟児は敢闘賞を受賞したのに対し、栃乃洋は三賞なしだった。






41.平成17年九州場所は、琴欧州・雅山・栃乃花・時天空の4人が三賞を受賞したが、ある意味興味深い顔ぶれです。というのも、このうちの2人、雅山と栃乃花は、共に平成12年以来5年ぶりの三賞受賞で、雅山は12年の夏場所、栃乃花は秋場所以来の受賞である。ただ、栃乃花は、12年夏場所にも、新入幕で三賞を受賞しており、従ってこの2人は、5年半ぶり2度目の同時受賞を果たした事になる。ちなみに、残る2人は、時天空が初受賞、琴欧州もここ1年が受賞歴という新鋭で、新旧2人ずつの組み合わせとなった。






42.雅山は平成17年九州場所、東前頭4枚目で10勝5敗と二桁勝ち、敢闘賞を受賞した。しかし、三役が全員勝ち越し、内1人が大関に昇進するも、東前頭筆頭の力士も勝ち越したため、結局雅山は翌場所、東筆頭止まりとなった。4枚目で10勝して平幕止まりは、平成2年春場所の栃乃和歌(現春日野親方)以来である。因みに栃乃和歌も、4枚目で10勝した場所(平成2年初場所)は、敢闘賞を獲得している。さて、雅山が東筆頭止まりになった平成18年初場所は、その一方で、前場所前頭15枚目で9勝だった春日錦が、いきなり西5枚目まで上がるというアンバランス番付となっている。平成2年春場所の時は、上から下まで小幅昇進だった。






43.突貫小僧のニックネームで大人気を博した富士桜(現中村親方)は、7勝8敗で終わった翌場所、全く番付が下がらなかった事が実に4回もあった。その場所とは、昭和52年九州場所、55年春場所、56年九州場所、57年秋場所で、いずれも前の場所7勝8敗で、番付が全く動かなかった。この様な事が1人で4回もあるというのは、なかなか珍しいのではないだろうか?因みに55年初場所は千秋楽に殊勲賞のかかった一番で負け越し、評論家の玉ノ海さんが、「負けたところにこの人の価値がある」と、目に涙を浮かべながら言ったという。






44.題目41で、栃乃花の三賞受賞についての記録を述べたが、実はもう一つ珍記録があった。栃乃花は新入幕の平成12年夏場所で三賞を受賞、そして再入幕の平成17年九州場所で三賞を受賞しているが、いずれも大関昇進直前の力士と同時受賞している。12年夏場所の時は雅山、そして17年九州場所の時は琴欧州である。しかも最初の受賞場所後に大関に昇進した雅山が、5年半後、再び同時受賞をして、『間隔同時受賞』記録の相手になったのだから、何とも奇遇な巡り合わせである。






45.平成18年初場所、闘牙が初日いきなり不戦敗で休場した。初日不戦敗の休場は、私自身あまり記憶にないが、たった一度覚えているのが、平成3年初場所である。この時、大関・小錦が初日不戦敗となって、2日目から休場したのである。再出場した闘牙と違い、小錦はその場所千秋楽まで休場して実質全休であったが、ともに高砂部屋という同部屋力士で、しかも場所も初場所で同じだった。






46.現高砂親方の大関・朝潮は、平幕だった昭和55年九州場所(当時は四股名が朝汐)、終盤6連勝したが、内11日目〜14日目までの相手は、全員最後が『山』で終わる四股名だった。因みにその四股名(力士名)とは、大寿山、鷲羽山、天ノ山、黒姫山である。更にこの場所の朝汐は7勝8敗だったのだが、三日目には大関・増位山に勝っており、7勝の内5勝が、『山』で終わる四股名の力士だった。ちなみにこの場所は他にも、蔵玉錦が朝汐と同じく11〜14日目まで『山』で終わる力士(黒姫山、大寿山、満山、鷲羽山)、新入幕だった北天祐も、2日目〜5日目まで『山』で終わる力士(満山、黒姫山、大寿山、豊山)と対戦している。一場所に3人が、ある意味『ぞろ目(?)』の対戦を4日連続で、しかも内一人がその全部に勝つというのは、あまり見かけないかも知れない。






47.現理事長の北の湖は、現役時代、大横綱でありながら、対戦成績7勝12敗(ほかに不戦敗1)という超苦手力士がいた。それが朝潮である。まだ絶頂期だった昭和55年夏場所、56年初場所、そして56年夏場所、北の湖はいずれも14勝1敗の成績を挙げているが、全て朝潮(当時朝汐)のみに敗れての1敗である。朝汐は一人で、時の王者北の湖の全勝を3回も潰した事になるわけで、全勝7回の北の湖は、もし朝汐がいなければ、あるいは全勝10回、優勝も25回(56年初場所が優勝同点のため)だった可能性もある(?!)。






48.かつて私自身が贔屓していた琴錦は、対横綱戦で通算15勝を挙げている。平成7年秋場所〜10年春場所まで、一度も横綱に勝てない時期があったが、晩年になってから、6場所連続横綱から白星という快挙を成し遂げている。その始まりは、あの、感動の2度目の平幕優勝となった平成10年九州場所、相手は貴乃花であった。本人思い出の一番にして、相撲史にも残る名勝負であるが、以後、平成11年初場所に貴乃花、春場所に若乃花、夏場所も若乃花、名古屋場所に貴乃花、そして秋場所に若乃花から、それぞれ殊勲の星を挙げている。2度目の優勝以降は、最早大勝ちも無く、勝ち越しも幕内では2回のみに終わったが、対横綱戦では、逆に最も勝率が充実した時期となったのである。






49.現井筒親方の関脇・逆鉾は、平幕から一気に関脇に昇進した事が2回あるが、いずれも極端にラッキーな昇進の仕方だった。1回目は昭和59年名古屋場所で、この時は前の場所が前頭3枚目での8勝7敗。本来なら、翌場所筆頭に据え置かれても決しておかしくない番付と成績で、ラッキーな新関脇昇進を果たした。しかもこれが新三役でもあったから、なおさらラッキーだった。そして2回目は昭和62年九州場所なのだが、この時は前場所が何と、前頭西の4枚目で8勝7敗。それも不戦勝1を含む8勝だった。これで翌場所関脇昇進ということは、本来有り得ない。しかもこの昇進で、結果的に9場所連続関脇を務めたのだから、運も実力の内というのか、いやはやなラッキー昇進であった。






50.大関・霧島は、平成4年九州場所、1勝7敗7休という散々な成績だったが、その1勝は隆三杉からのもので、隆三杉はこの場所、前頭筆頭で8勝7敗と好調であった。そして大関陥落後、平成5年名古屋場所では、初日から3連敗の後4日目に初日、結果は3勝止まりだったが、この初日を出した相手が隆三杉、同年九州場所でも、同じく3勝12敗の大負けだったが、内1勝は隆三杉からであった。その一方で、大関時代の平成3年九州場所では、霧島は2桁勝ちながら隆三杉には土。その場所、隆三杉は5勝止まりであった。そして久しぶりに霧島が4連勝を遂げていた平成6年初場所6日目、5連勝ならずの土を付けたのが隆三杉。どうも隆三杉は霧島にとって、不振の場所には格好の白星供給者なのだが、案外好調な時には敗れるという、摩訶不思議な相手であった。






51.平成18年春場所で大関昇進を決めた白鵬は、2場所連続13勝2敗となったが、これは同時に、通算6度目の二桁勝ち星であった。そして白鵬の過去の二桁勝ち星は、12勝が2回(平16.5、平16.11)、11勝も2回(平16.7、平17.1)で、11勝〜13勝がきれいに2回ずつという規則性のある記録となった。因みに、白鵬の成績の規則性については、以前こちらでも述べたことがある。そして10勝5敗という成績が一度もないのも面白い。8勝7敗も2回あり、所要12場所で4種類の成績が2回ずつという状態になったのだが、さて、新大関の場所はどうなるのか?






52.把瑠都は、平成18年春場所、私が相撲ファンになって以来待ち望んでいた(?)、十両での全勝優勝を成し遂げたが、実は最近、もう一人全勝優勝まで後一歩というところまでいった十両力士がいた。現幕内の豊ノ島で、平成17年秋場所、初日から13連勝したが、14日目に惜しくも敗れて1敗となり、千秋楽では中入り後の土俵に上がって琴ノ若(現佐渡ヶ嶽親方)を破り、14勝1敗で優勝した。その、ただ一人敗れた相手というのが、誰あろう、把瑠都だったのである。把瑠都は他力士の十両全勝の記録達成にはしっかり待ったをかけ、その後自身が堂々達成したのだった。






53.土佐ノ海は、平成17年夏場所、自己最高位の関脇に復帰、その場所5勝10敗と大負けしたが、その後、4場所連続負け越して、関脇から5場所後の平成18年春場所には、ついに十両に落ちてしまった。
土佐ノ海が十両に落ちるというのはちょっと想像出来なかったが、関脇から、勝ち越し無しで十両まで下がってしまったのは、珍しいのではないかと思う。因みに負け越した4場所の成績は、5勝10敗(前4)、6勝9敗(前8)、5勝10敗(前11)、5勝10敗(前14)である。一年以内に関脇と幕尻で同じ成績を残している。






54.平成18年春場所、大関在位43場所の千代大海は9勝6敗の成績だった。そして在位43場所目を経験したのは、貴ノ花、北天祐に次いで3人目となったが、3人そろって大関43場所目は9勝6敗に終わっており、面白い偶然である。千代大海は、途中3連敗があっての9勝だったが、貴ノ花も同じく3連敗があった。そして在位43場所目が29歳11ヶ月で、20代最後となった千代大海だが、北天祐も同じく43場所目が29歳11ヶ月だった。平成18年夏場所では北天祐と並んだ千代大海、先輩2大関と、一つずつ共通点がある。






55.平成18年春場所、34歳ながら4場所ぶりの再入幕を果たし、14日目までに9勝と健闘した玉春日は、平成10年初場所から11年秋場所まで、11場所連続で西方の幕内力士であった。これはちょっと珍しい記録ではないかと思う。ちなみにその前、平成8年夏場所から9年夏場所までは、7場所連続して東方幕内力士だったことがある。何ともユニークな記録だ。ところであまり話題になった事が無いが、玉春日は平成10年秋場所から11年初場所にかけて、3場所連続金星を獲得している。






56.平成18年春場所千秋楽、時津海と北勝力の対戦が組まれ、両者とも1勝13敗という散々な成績だった。この2人は前場所ではそろって12勝3敗で三賞という大活躍。平幕でともに12勝という成績を残した力士が、翌場所、千秋楽まで成績が同じというだけでも比較的珍しいほうだし、対戦が千秋楽というのもあまり多くないかも知れないのに、そこへもってきて2人とも1勝13敗。前場所平幕ナンバーワンの次は最後まで枕を並べてワーストワン。あまり名誉とは言えない珍記録である。






57.題目49で、逆鉾が関脇に、有り得ないぐらいラッキーな昇進のしかたをしたと述べたが、小結に昇進したことも2回あり、これもまた、超ラッキーと言える上がり方だった。1回目は昭和61年秋場所であるが、前場所は西前頭7枚目で10勝5敗で、二桁勝ったとはいえ、西の7枚目から一気に三役というのは、普通は厳しいはずであった。そして2回目の小結昇進だが、これは平成2年九州場所で、前場所は西の5枚目で8勝7敗だった。これはもう、極限までラッキーな昇進と言っても良いのではないだろうか?しかもこの昇進が最後の三役となり、寺尾と兄弟同時三役も演出している。ところで、この場所、逆鉾は横綱・大乃国に勝っているが、小結のため、19場所ぶり8個目の金星は成らなかった。これは果たしてラッキーの内と言えるのか?それとも・・・・・。






58.豪快な塩撒きでもファンを魅了した水戸泉は、平成4年名古屋場所、涙の平幕優勝を成し遂げ、初土俵から87場所、当年30歳にして力士生活花盛りを迎えた。そして同じ場所、実は同期同い年の力士である若瀬川が、十両で2勝13敗という、水戸泉と全く逆の成績を残し、引退していった。片や破顔一笑の優勝記念撮影、こなたしんみりと寂し気な表情での引退記者会見。勝負の世界の現実。しかしあまりにも両極端な明暗であった。






59.平成18年夏場所、元祖モンゴル力士の旭鷲山は終盤まで優勝争いにも顔を覗かせ、平成16年初場所以来の2場所連続勝ち越しを果たしたが、前回も今回も、連続で勝ち越した場所のうちの一場所は、最後4連敗で終わっている。前回の時は平成15年九州場所が、終盤4連敗であった。そして今回は連続勝ち越しとなった18年夏場所、9勝2敗と二桁に王手をかけながらその後失速した。因みにどちらの2場所連続勝ち越しにも、途中5連勝が1回は含まれている。






60.当代きってのツラ力士、北勝力は、大崩れの印象も強いわりには優勝決定戦にも1度進出しており、それも横綱・朝青龍の36連勝を阻むという大殊勲を挙げているのだから、本当に実力不明な力士である。まあ勝てる時は勝てるということは、それなりに強いと言ってもいいのだろうが、実は平成18年夏場所現在で、二桁勝ち星を7回も記録しており、幕内在位25場所中、約30%を二桁で占めているという、これまた意外性のある一面を持っている。中でも極め付けは平成15年で、地方場所は全て10勝5敗の二桁勝ち星だったのだ。因みに東京場所は4勝、6勝、4勝。年間成績は44勝46敗で、一年に3回二桁勝ちながら負け越すというのは、勝ち越し−負け越し交互の連続記録を持つ麒麟児が、昭和58年に作ったぐらいしか思い当たらない。北勝力、目立たないところで実に地力をアピールする記録を、作っているものだ。






61.現楯山親方の巨砲は、金星を10個獲得し、一場所W金星も2回記録している。初金星は入幕わずか4場所目だった昭和54年秋場所で、いきなり三重ノ海と若乃花の2横綱を倒すというW金星になったが、成績のほうは意外というか、5勝10敗の大負け。そしてその後3個目の金星を昭和55年夏場所に、一場所置いた秋場所には4個目の金星を、14勝1敗で優勝した若乃花からもぎ取った。まさに横綱キラー絶好調といったところだったが、いずれの場所も成績は5勝10敗。不思議と金星を取ったら白星が上がらなかった。金星を挙げた場所で初めて勝ち越したのは昭和56年秋場所で、9勝6敗で殊勲賞を受賞している。






62.平幕で、3場所連続前頭の同じ地位というのは、やろうと思ってもなかなか出来るものではない。しかし最近一人その記録を作った力士がいる。当代きっての人気力士、高見盛で、平成16年名古屋〜九州場所にかけて、3場所連続前頭7枚目だった。東の地位で負け越しても半枚しか下がらず、続く場所で西の地位で勝ち越しても半枚しか上がらなかった結果、誕生した珍記録であるが、ラッキーセブンの7枚目なのだから、気分も悪くないでしょう(?!)。






63.題目43で、富士桜が負け越しながら翌場所番付が全く不動だった幸運な記録があることを述べたが、それに関連して富士桜は、4場所の内、最初の2場所と最後の2場所がそれぞれ前頭の数字(枚目)が同じだったという場所が、2回ある。1回目は昭和55年春〜秋場所で、春・夏場所が前頭3枚目、名古屋・秋場所が前頭11枚目だった。そして2回目は昭和57年名古屋〜58年初場所で、名古屋・秋場所が前頭筆頭、九州・初場所が前頭6枚目だった。富士桜は総合的に見て、2場所連続前頭何枚目の数字が同じになるというケースが非常に目立つ力士であった。






64.平成13年春場所〜14年夏場所まで、優勝成績は実に8場所連続13勝2敗だった。幕内優勝の成績は、11勝が2度ある以外は全て12〜15勝で、ある程度限られているから、同じ成績が並ぶ率というのは高くなるのであるが、それにしても8場所も同じというのはちょっと珍しい。9場所ぶりに優勝成績が変わった平成14年名古屋場所では、大関・千代大海が、14勝1敗の成績で優勝を飾っている。さて、この成績13勝8連覇≠、ち6場所が、優勝者が千秋楽負けているというのも、また何とも締まらないオマケである。






65.元関脇水戸泉は、帰り小結2場所目だった平成4年夏場所、7勝7敗で迎えた千秋楽、負け越した。勝っていれば、翌2場所も勝ち越しているから、平成3年春場所〜4年秋場所まで10場所連続勝ち越しとなり、3年秋〜4年夏まで5場所連続8勝7敗という比較的珍しい記録も作れたところであった。また水戸泉は4年名古屋場所、前頭筆頭で優勝しているが、恐らくこれも関脇での優勝になっていたものと思われ、長谷川以来の、関脇で優勝しながら大関経験無し、という力士になっていたのではないかと思う。ある意味、4年夏場所の負け越しは惜しい負け越しだった。






66.現在、大関陥落後の現役在位数最多記録を更新中の出島であるが、大関時代、幕内上位には、安芸乃島、栃乃洋といった、上位キラー常連の力士がいた。そして出島は、何故かこの両者に対しては大関時代滅法強く、対戦成績全勝している。安芸乃島とは9回対戦、栃乃洋とも8回対戦したのだが、ほかの大関を食いたい放題食っていたこの両者に対して、出島だけは負けなかった(栃乃洋には不戦敗が1回あり)。ちなみに、安芸乃島には大関昇進前は非常に合口が悪く、また栃乃洋には陥落後にしばしば敗れるようになっている。






67.現北陣親方の麒麟児は、幕内在位84場所、史上5位(引退当時史上2位)の記録を誇っている。新入幕から引退まで、一貫して幕内に在位し続けたと思いきや、実は一場所だけ陥落している。昭和54年九州場所で、翌場所から53場所連続幕内を務めた。過去、高見山以降の幕内90場所台の記録を残した三力士(寺尾、安芸乃島、琴ノ若)は、全員十両陥落を経験しているが、いずれも新入幕翌場所(寺尾は最終幕内2場所前にも)、連続在位記録に大きく水を差す結果にはならなかった。それに対して麒麟児の場合は、在位全体のほぼ真ん中近い時期にポコッと陥落しており、これさえ無ければ、幕内連続85場所、連続在位でも史上2位(引退時点で)となっていた。誠に惜しまれる、一場所限りの幕内陥落だった。






68.琴光喜は、平成18年名古屋場所、関脇で8勝7敗だったが、これで実に6場所連続関脇での8勝7敗となり、これは史上初かも知れない珍記録となった。そもそも同じ成績が6場所も連続で続く事自体、ありそうでなかなか無い。かつて水戸泉が、5場所連続8勝7敗の記録を作り損ねた時があったが(平成4年夏場所、千秋楽で負け越し)、琴光喜はひたすら『ハチナナ街道(略してハナ街道?)』をばく進。どうも前半勝ち進んでも終盤は息切れしてしまうようである。果たしてこの後もこの記録を伸ばし続けるのか、それとも・・・・・?






69.通常、大関が千秋楽に平幕と対戦する事はあまりない。あるとすれば、横綱・大関が7人以上おり、これより三役の東西計6人の定員から外れた場合であるが、朝潮(現高砂親方)は、何と3場所連続して、千秋楽が対平幕戦だった事があった。昭和62年夏場所〜秋場所までで、夏場所は前頭6・大寿山、名古屋場所は前頭10・出羽の花、そして秋場所は前頭5・玉龍であった。名古屋と秋が、いずれも33歳以上のベテランと当たったという点も記録に値するかも知れない(?)。しかしこれは、大関が多かった時、朝潮が常に下位にいた事を裏付ける記録にもなってしまっている。実際朝潮は大関在位36場所(引退時史上2位)の中で、東正大関を務めたのは、昭和60年夏場所、名古屋場所の2場所しか無いのだから・・・・・。因みに昭和59年秋場所も千秋楽が平幕戦であったが、相手は平幕優勝が決まっていた多賀竜である。






70.平成18年名古屋場所は、5大関2関脇の場所だったが、この7人が全員、番付通りの成績順となり、従って翌秋場所は全く変動が無いことになった。5大関時代において、2場所連続全員大関内の番付が変わらずというのは、あまりないかも知れない。。ただし4大関時代においては、昭和63年名古屋場所に、4大関2関脇2小結の計8人が、前場所と全く番付が変わらずという時があった。因み横綱はこの時3人いて、東横綱と東張出横綱が入れ替わっている。平成18年秋場所は、横綱は一人で当然動きが無いから、横綱を入れれば、昭和63年名古屋と同じく、8人の役力士(関脇以上全員)が動きなしという事になる。






71.通常、東正横綱の力士は、相手が同部屋力士や休場ではない限り、初日は西小結の力士と対戦する。しかし、昭和58年名古屋場所は、東横綱・千代の富士の初日の対戦相手は、東の小結である巨砲であった。本来なら西小結の舛田山であるはずが、何故いきなり変則的な割りになったのか、私も全然分からない。ちなみに千代の富士は、本来なら初日に割りが合う舛田山と9日目に対戦、見事に敗れて痛い一敗を喫している。そして舛田山の初日の対戦相手はというと、東大関の隆の里だった。もしかして、初日の固定割りを『東大関−西小結』に変えようと試みていたのだろうか?






72.平幕下位の力士が終盤、横綱と対戦する場合は、その平幕は優勝争いに加わるぐらいに勝ち込んでいるのが普通である。そして昭和54年秋場所、前頭10枚目だった千代の富士は、14日目と、大詰めの時期になって、いきなり横綱・若乃花(U代)と対戦した。では、千代の富士はこの場所勝ち込んでいたのかというと、前日まで8勝5敗で、12日目になって勝ち越しを決めるという、特に注目には値しない成績だった。それで何故突然横綱との割りが組まれるのか?人気力士同士を対戦させて集客を狙ったのかも知れないが、それにしてもかなりムリのある、割りの組み方だと思う。






73.『技の見本市』と言われ、最後は42歳の若さで急逝してしまった、元関脇・栃赤城。栃赤城は、最後は幕下まで落ちてしまったが、十両で落ちる前に最後に幕内で勝ち越した場所と、幕下で落ちる前に最後に十両で勝ち越した場所は、いずれも千秋楽、表彰の土俵に上がるという華やかな活躍をしている。幕内で最後に勝ち越したのは昭和56年九州場所で、この時は役力士全員と対戦。1横綱1大関を破って9勝6敗の成績を挙げ、敢闘賞に輝いた。一方十両での最後の勝ち越しは昭和59年秋場所で、11勝4敗の十両優勝だった。ちなみに、昭和59年秋場所といえば、蔵前国技館最後の場所。そう、あまり知られていないが、蔵前最後の十両優勝力士は、かつての大関候補、栃赤城だったのである。幕内・十両とも、最後の勝ち越しでは大きな活躍をしたのだった。






74.幕内在位91場所、史上3位の記録を持つ安芸乃島は、新入幕の翌場所が、ただ一度十両に落ちた場所で、それが無ければ、新入幕から引退まで、幕内連続92場所の記録が誕生していた可能性が強い。実に惜しまれる、新入幕場所での負け越しであったが、実は東前頭12枚目で7勝8敗という、本来ならいきなり十両に落ちないはずの成績だったのだ。翌場所の番付は東14枚目まであり、ふつうは下に2枚あって7番勝っていれば、幕内に留まれるだろう。そういう意味では、何とも気の毒な、そして不運な十両陥落であった。






75.現境川親方の元小結・両国は、幕内での最後の6回の勝ち越しは全て二桁、うち5回は10勝5敗という珍記録を作っている。記録の始まりは、横綱・千代の富士に初勝利をした平成元年九州場所で、この場所10勝5敗。二場所後の平成2年春場所は11勝4敗だったが、その後ケガで十両に陥落した。そして再入幕の平成3年夏が10勝。2場所7勝8敗が続いて同年九州が10勝、そしてさらに5勝、4勝と大負けが続いた後、平成4年夏場所でまたもや10勝を挙げたが、その翌場所、ケガで途中休場し、同年九州、十両に陥落。翌平成5年初限りで引退した。十両での勝ち越しには9勝もあったが、幕内で、勝ち越せば必ず二桁で、6敗した場所は全て負け越しで終わりという状態が、3年近くも続いた例は極めて珍しい。最近、旭鷲山が、これにやや近い轍を踏みつつある。






76.昭和58年から59年頃にかけて、取り組みの割りで、少々面白い現象が起きていた。それは、前頭6枚目の力士が、中盤から終盤初めにかけて、連日横綱・大関と顔を合わされるのである。巨砲、出羽の花、蔵間、鳳凰などの力士がその憂き目さらされている(?!)が、特に勝ち込んでいる場合は、中日あたりから『これでもか』というほど横綱・大関陣と当てられ、一気に崩れるというケースが少なくなかった。大して大勝ちしていなくても、直前にちょっと連勝していると、たちまち上位との連戦になっていた(昭和58年春場所の栃光など)。巨砲などは2回もこの例に当てはまっており、昭和58年、59年のいずれも初場所が、中日以降、上位の集中攻撃を受けた(?)場所となった。両場所の星取表は実によく似ている。






77.平成5年夏場所、東十両5枚目の旭里は、8勝7敗と勝ち越した。そしてこの場所から、実に6場所連続十両で勝ち越すという、ある意味番付不運の裏返しともとれる珍記録を作った。因みに成績も、平成6年初場所に9勝6敗を挙げた以外は全て8勝7敗で、十両における、同一成績連続記録を作った可能性もある。
さて、6場所勝ち越しの番付であるが、平成5年名古屋が東十両4枚目、秋が東十両3枚目、九州が西十両2枚目、平成6年初が東十両2枚目、春が東十両筆頭であった。平成6年夏、遂に再入幕を果たしている。本当に、徹底的にゆっくりと、尾根歩きをする様な番付の上がり方であるが、中でも語り草になっているのは平成5年名古屋場所である。何と7連勝の後7連敗して、千秋楽に勝ち越しを果たしたのだ。この場所、あと1番でも勝てていれば、再入幕の時期ももっと早かった可能性が高い。翌秋場所は13日目に勝ち越したが、そこから連敗。本当にあともう半歩というところで、入幕の好機を逃していたのだった。やっとの思いで再入幕を果たした平成6年夏が、最後の幕内となった。






78.元祖ブログ力士として、すっかり名が知られるようになった普天王だが、実は入幕早々、密かに珍記録を作っていた。新入幕から3場所連続前頭15枚目と、同じ番付だったのである。新入幕だった平成16年春場所は、東15枚目で、12日目に負け越しての7勝8敗。そして入幕2場所目の夏場所は、7勝1敗から7連敗しての負け越しという、上で書いた旭里の記録にも通じそうな星取り記録を作った。そして3場所目、全く同じ西15枚目の地位で10勝5敗と大勝ちして幕内初の勝ち越しを果たしたのだった。因みに普天王は、平成17年名古屋場所、上位初挑戦でいきなり10勝5敗と二桁勝って敢闘賞を受賞、翌場所三役に昇進したが、その前、つまり17年夏までは、新入幕から7場所全てが前頭二桁の地位。そして三役を決めた時点では、勝ち越し4回の内3回が二桁という、ある意味“効率が良い”とも取れる記録も成し遂げていた。






79.平成3年夏場所初日、大ベテラン巨砲は、土俵上で幕内連続10年以上在位の特別表彰を受けたが、その一方で私は、その場所の巨砲の番付を見てビックリしていた。前場所、西前頭5枚目で、6勝9敗と大負けではなかったにもかかわらず、いきなり東前頭12枚目と、幕尻近くまで下がっていたのだ。「え?こんなに下げちゃったら、さすがに本人も納得いかないんじゃないの?」と思ったりしたが、この場所は他にも、前場所東8枚目で6勝の太寿山が西14枚目、東4枚目で同じく6勝の花ノ国が東10枚目と、軒並み下げ幅が大きい場所であった。番付は生き物とも言われるから、時にそのような事もあるのだろうが、それにしても、前場所大関にも勝って6勝していた巨砲が、まるで大負けしたかのように、一気に下に3枚半しかない位置に下がっていたのには驚いた。結局その後巨砲は、二度と前頭一桁の地位に戻る事は出来なかったが、この平成3年夏の番付が、せめて西の9枚目ぐらいで留まっていたとすれば、もう1〜2場所、幕内在位も長かったかも知れない。






80.平成11年夏場所、どう考えても摩訶不思議としか言い様のない事が起こった。当時からよく覚えているのだが、大関・武蔵丸と、関脇・安芸乃島の対戦が組まれなかったのである。この場所、武蔵丸は綱盗り場所。一方安芸乃島にとっても、前場所、小結で11勝しており、大関盗りへの足固めと目される場所であった。しかもこの前の場所で安芸乃島は、優勝した武蔵丸に勝っており、連続優勝を懸けた11年夏場所の武蔵丸、安芸乃島戦は、その地力を占う上でも格好の相手となっていたことだろう。それなのに、割りが組まれなかった。元より安芸乃島は同部屋に2横綱1大関がいるため、対戦対象となる上位が少なく、また武蔵丸も、2横綱1大関が休場、1関脇が同部屋という状況で、初日にでも安芸乃島戦が組まれても不思議ではないくらい、お互い対戦役力士に乏しかったのに、それでなおかつ割りがなかったのは、一体どういう事だ?因みに安芸乃島は翌場所、新横綱・武蔵丸に初黒星を付けており、対戦14連敗のあと2連勝としている。






81.史上まれに見る(?)番付作成難航場所となった、平成18年九州場所、前場所8勝7敗の力士がいきなり8枚上がったり、十両筆頭で9勝だった力士がいきなり前頭8枚目になったりと、とんでもない躍進が行なわれたが、その一方で、負け越しながら番付が不動の力士が、計5人も発生した。特に東西9枚目の力士は前場所と全く同じで、このような現象も珍しいのではないかと思われる。因みに、その5人の力士というのは、高見盛、朝赤龍、豊真将、土佐ノ海、栃乃花である。この前の18年秋場所は、7勝7敗の力士が7人いて、うち対戦相手が休場のため、不戦勝で勝った稀勢の里を除き、実際に相撲を取った6力士は全員負け越しという、これまたとんでもない記録が生まれた。番付不動者多数の記録の立役者となったのは、全て前場所千秋楽に負け越した力士である。みんなして勝ち越せなかった代わりに、ちょっと審判部泣かせな記録を置き土産としたか??






82.ともに名関脇と謳われている出羽の花と若の里。この2人にはあるちょっとした共通点がある。それは、横綱に通算10回勝ち、その内金星は2個だけという点である。それも、一番最初と最後の横綱戦白星(若の里は現役だから、まだ分からないが、平成18年秋場所現在で)が、金星であるという、ちょっと変わった共通点があるのである。出羽の花は、昭和54年秋場所の若乃花戦が初の横綱戦白星で、金星であった。その後、三役で8回横綱に勝って(北の湖に2回、若乃花に4回、千代の富士、隆の里に各1回)、最後に横綱に勝ったのが、昭和60年秋場所の隆の里戦、これが2個目の金星となった。一方、若の里は、平成10年九州場所の若乃花戦が、横綱戦初白星にして初金星となり、その後、三役で武蔵丸に4回、朝青龍に3回、曙に1回の計8回横綱に勝った後、平成18年夏場所の朝青龍戦が、2個目の金星となった。出羽の花と若の里の金星記録には、ほかにも幾つか共通点がある。一つは、2個目の金星が、初金星から6年後であること。そして、2個目の金星を挙げた相手が、その翌日から休場したこと。また、いずれの金星の相手も、時の最新横綱だった。さらにもう一つ、初金星の相手の四股名が、ともに“若乃花”・・・・・。






83.のちに横綱・貴乃花となった貴花田は、大フィーバーに沸いていた平成3年初場所初日、横綱・千代の富士に勝って、相撲史に残る金星(因みに史上最年少)を挙げた。そして翌名古屋場所でも、初日、横綱・旭富士に勝って殊勲の星を挙げた。思い返せば、貴花田が初日に横綱に当たったのはこの2場所だけで、いずれも白星で飾ったことになる。『一行ネタ』として取り扱うまでもないネタかも知れないが、のちに平成の大横綱と言われるようになる貴花田。初日に横綱と対戦した2場所を、いずれも白星でスタートさせ、場所後殊勲賞を受賞している。因みに初日大関に当たった場所は計3場所あり(平成3年九州、4年名古屋、4年秋)、最初の時に小錦に敗れた後、2回目は霧島、3回目は小錦にそれぞれ勝って、通算2勝1敗としている。






84.平成18年九州場所は、皇司・北桜の2人が再入幕を果たしたことで、この2人がそれぞれ、幕内(関取)最年長、二番目年長となった。幕内において最年長力士の座が、1人の、より年長の力士の入幕によって奪われるという例は、少なくとも一つ記憶している。平成元年初場所、34歳の玉龍が再入幕を果たした時である。これによって、前場所は幕内最年長だった33歳の千代の富士が、2番目の年長となっている。しかし平成18年九州のように、前場所の幕内最年長(ちなみに玉春日)よりも更に年長の力士が、いっぺんに2人も入幕して、前場所の最年長が、3番目の年長になったという事は、ちょっと見られない記録かも知れない。






85.横綱・隆の里は、大関時代の昭和57年秋場所、全勝で初優勝を果たした。そしてその後1年間(6場所)の成績が、10勝5敗、11勝4敗、12勝3敗、13勝2敗、14勝1敗(優勝)、15戦全勝(優勝)と、また何とも規則正しく、きれいに1勝ずつ成績が上がっているのだ。これほど堅実≠ノ、数字の順番どおりに成績を上げていく力士も、ちょっと他に見当たらない。因みに、2度目の全勝優勝を飾った新横綱の場所(昭和58年秋)以降1年間の、隆の里の成績は、13勝2敗、13勝2敗(優勝)、11勝4敗、11勝4敗、10勝5敗、10勝5敗と、これまた2場所ずつ同じ成績で、段々と下がってきている。12勝3敗の場所はないが、本当に分かり易過ぎるほど分かり易く、隆の里の成績は、右上がりのち右下がりの一直線グラフとなっている。






86.横綱・朝青龍と大関・魁皇は、平成16年九州場所以降、見事に毎地方場所のみの対戦となっている。つまり、一場所置きの対戦となっているわけで、平成18年九州場所まで、丸2年このパターンが続いた。2年間も、ひたすら一場所置きの対戦で統一されるというのも、なかなかの珍現象ではないだろうか?こうなった理由は、平成17年が、魁皇が東京場所を全て途中休場して横綱戦が実現しなかったためで、平成18年も、初場所と秋場所は途中休場して横綱戦なし。そして久しぶりに東京場所皆勤を果たした平成18年夏場所では、今度は滅多に休場しない朝青龍の方が休場した。これはよもやの事態であったが、この結果、きれいに“二場所に一場所対決”の、対戦記録となったのである。






87.平成18年名古屋場所、稀勢の里は20歳になったばかりで新小結に昇進したが、平成19年初場所で4場所連続小結となった。早く関脇に昇進すればするほど、昇進年少記録・スピード出世記録でともに上位になれる稀勢の里だけに、これはある種、不運な据え置きといえる。確かに成績は全て8勝7敗であるが、それでも新小結から4場所連続小結というのは記憶になく、本来なら関脇に上がっていてもよかったはずである。思いがけず、珍記録を作る結果となったが、据え置きの連続で新関脇に届かないのはもったいない。






88.一つ上で、稀勢の里の4場所連続小結について述べたが、これは逆の見方をすれば、関脇が東西ともに毎場所勝ち越して、顔ぶれが入れ替わらないということである。平成19年初場所時点で、前年夏場所から5場所連続、関脇は雅山と琴光喜になっている。5場所連続東西関脇が同じ顔ぶれというのは、昭和63年夏〜九州にかけて、逆鉾と琴ヶ梅が4場所連続同じだったというのを超えて、私の記憶する限りの最長記録となっているのではないかと思う。実際、新関脇も、平成18年初場所の白鵬以来、1年間誕生していない。昭和63年の時は、平成元年夏場所の安芸ノ島(のち安芸乃島)が、前年初場所の栃司以来8場所ぶりの新関脇だった。






89.『F1相撲』、『史上最強の関脇』と言われた琴錦は、関脇在位史上1位タイの21場所であるが、単独1位となる22場所目は届きそうで遠かった。平成9年初場所、2場所連続21場所目の関脇で4勝11敗と惨敗した琴錦は、平成10年初場所、1年ぶりに小結に返り咲き、10勝5敗と2桁勝ったが、翌場所は小結に据え置き。さらに同年夏場所も、東前頭2枚目で、千秋楽まで優勝争いに加わって11勝4敗と大勝ちしたが、翌場所は小結だった。その後も小結に2度昇進するも、関脇には遂に届かず、最後はほろ苦#ヤ付不運に見舞われての、関脇在位21場所止まりであった。






90.横綱・千代の富士に2勝し、横綱・北勝海にも2場所連続勝ったことのある花乃湖は、平成元年初場所、西前頭6枚目で10勝5敗の成績を挙げ、翌場所、三役に返り咲いた。しかし、腰部椎間板ヘルニアのために初日から9連敗し、10日目から休場。成績は10敗5休となった。前場所10勝5敗、次場所10敗5休。数字の並びは同じでも、内容は大違いである。そして次の平成元年夏場所、依然ヘルニアが治らなかった花乃湖は初日から4連敗して5日目から休場。従って成績は5敗10休となった。この結果、3場所連続、成績に『10』と『5』の数字が付くものとなり、最初の10勝5敗はいいが、あとの2場所は10敗5休、5敗10休と、休場絡みで同じ数字に縁があるという、ちょっと珍しい記録となった。花乃湖は、最後の2場所で15連敗してそのまま引退したのであるが、最後に勝った時は4連勝となっていた。






91.現松ヶ根親方で、かつて私もひいきにしていた大関・若嶋津は、大関昇進直前の2場所、14日目に前頭8枚目の力士に敗れるという珍記録を作っている。昇進2場所前の昭和57年秋場所は、当場所西前頭8枚目で、上位キラーだった巨砲に敗れ、昇進を決めた九州場所では、同じく西8枚目で、34歳10ヶ月の大ベテランだった大潮に土を付けられた。大潮は、若嶋津(当時若島津)戦の勝利が利いて、この場所敢闘賞を受賞。4年ぶり2度目の三賞となった。大関目前の力士が、終盤大詰めに来た段階で下位の力士に、それも2場所連続敗れるのは、滅多にお目にかからない状況であろう。






92.平成19年夏場所は横綱・大関陣が好調で、6日目を終わって、全勝が4人、1敗が1人であった。この1敗というのは大関・琴欧洲だったのであるが、もし琴欧洲にこの1敗が無かったら、平成2年の同じ夏場所以来17年ぶりの、6日目まで横綱・大関全勝の快挙が達成されるところであった。琴欧洲は3日目に平幕玉乃島に敗れたのであるが、まさに名誉な記録を逃した痛恨の1敗と言える。






93.平成19年夏場所は、中日を終わって全勝力士が4人もいるという混戦模様で、優勝争いが俄然面白くなっていた。4人が中日全勝というのは、平成16年春場所以来の快挙であるが、このように、多くの力士が前半戦を全勝でターンする場所、優勝争いの一角に顔を出しているのが、朝青龍の弟弟子、朝赤龍である。朝赤龍は、16年春場所の時は、初日から12連勝して13勝2敗。一方19年夏場所の時は、中日を終えた時点で7勝1敗。全勝でこそなかったものの、最後まで優勝争いに残り、大勝ちを果たした。好調組が多いと、連鎖反応を受けやすいのが朝赤龍の特徴なのか?






94.大関・千代大海は、平成19年夏場所12日目、通算4回目の、対横綱・朝青龍戦勝利を挙げた。そしてその翌日、大関・魁皇も朝青龍を破った。2大関とも、もう二度と朝青龍には勝てないだろうという大方の見方を、見事に覆しての完勝であったが、それにしても、千代大海は5回、魁皇は7回、それぞれ横綱昇進後の朝青龍に勝った内の、4回は両者同じ場所に勝っているのである。まあ、こういうのを、付き合いがいいというのかどうかは分からないが・・・・・。






95.関脇・琴光喜は、平成19年名古屋場所で関脇在位が22場所となり、長谷川と琴錦、魁皇の3力士が並んで持つ、21場所の記録を更新した。この内、初めて関脇在位が20場所を越えた長谷川と、2人目に超えた琴錦はともに佐渡ヶ嶽部屋。そして今回記録を更新した琴光喜も、やはり佐渡ヶ嶽部屋である。大関まで上がった魁皇を別とすれば、関脇での記録を樹立するのはいつも佐渡ヶ嶽部屋。よくよく最強関脇と縁の強い部屋と言える。






96.大関・千代大海は、9度目のカド番だった平成18年春場所(初場所は休場)以降、東京場所は4場所連続10勝5敗となり、判で押したように、同じ成績で四連覇となった。一方、地方場所も、平成19年春場所の7勝8敗以外は全て9勝6敗で、平成18.春〜19.初までの1年間は、規則正しく9勝・10勝・9勝・10勝・9勝・10勝という成績だった。このような超地味な記録もマニア受けとしては悪くないのだが、とりあえず、もう一度11番勝って欲しい。負け越した春場所がもし9勝だったら、8場所連続9勝・10勝が交互という、更に珍記録が達成するところであった。






97.魁皇は、大関・千代大海や大関・栃東には大量連勝を記録しており、またかつては大関・武蔵丸にも、初顔で勝ったのを始め、その後7連勝するなど、とにかく古今通じて大関キラーであった。自身も大関に昇進してからは、言うならば『同格キラー』、大関在位がたった3場所だった朝青龍にも、大関初黒星をつけて本領を発揮しているが、平成19年夏場所後に横綱に昇進した白鵬には、一度も勝てなかった。白鵬が大関昇進を決めた平成18年春場所には勝ち、琴欧洲に続いて、昇進決定場所に土を(それも同じ千秋楽に)つけたのであるが、大関・白鵬には4戦全敗。貴乃花以来2人目の、魁皇が勝てなかった大関の誕生となった。白鵬が8勝7敗と大崩れした平成18.秋なんかは勝てるチャンスだったと思うが、魁皇のほうが途中休場してしまい、対戦が無かった。






98.このコーナーの初期のほう、4つ目の題目で、幕内で年間6場所全て負け越しに関する記録を述べたが、現在までに福の花、大潮、貴ノ浪がいる。そして3人とも、6場所負け越し前の場所(昭和49、57、平成14の、いずれも九州場所)、10勝5敗で敢闘賞を受賞しているのである。それも横綱や、優勝争いをしている力士などを倒しての二桁。ベテランが、間隔でみても久しぶりとなる三賞を取って、その後連続負け越し。こういうのを、『最後の死に花を咲かせる』というのだろうか・・・・・?






99.大関・千代大海は、新記録の在位51場所だった14日目、新横綱・白鵬に勝って、白鵬の優勝の夢を砕いた。そしてこの一番で千代大海は、対戦した4人の新横綱全員から白星を奪うという快挙を成し遂げたのである。これについては題目37でも少し触れているが、66代若乃花〜69代白鵬まで、4人9年間にわたって、新横綱に土を付けるというのは、なかなか出来ない快挙である。因みに当代一の対横綱戦白星を誇る大関・魁皇は、新横綱白鵬との一番では誤審とも取れる微妙な判定の末、結局黒星となってしまい、翌日から休場の憂き目に遭った。






100.大関陥落後、28場所目にして優勝決定戦初進出も果たした雅山は、入幕当初はスピード出世過ぎて大銀杏を結えなかったが、新関脇となった平成12年春場所に、ようやく結うことが出来た。そしてその翌場所である平成12年夏場所後に大関に昇進しているから、雅山は実に、大銀杏を結って3場所目に大関に昇進したことになるのだ。もし、もう少し出世が早くて、大関になるのが3場所でも早まっていたら、雅山は大銀杏を結えるようになる前に大関に昇進していたことになる。ギリギリ2場所、髪の伸びが間に合っての大関昇進だったが、髷だけの新大関というのも、あるいは見てみたかったような気もする。






101.平成19年九州場所、11度目のカド番を脱出した魁皇だが、勝ち越した時の相手は大関2場所目の琴光喜であった。琴光喜が新大関だった場所は、魁皇は休場のため琴光喜とは対戦しておらず、従って11度目のカド番脱出の一番は、大関昇進後の琴光喜との初対戦を制した一番となった。魁皇が初めて大関と対戦した平成6年初場所以降、これまでに11人の大関(魁皇自身を除いて)が誕生し、その全員と魁皇は対戦したわけだが、大関としての初対戦で勝てなかったのは、3人のみ(貴ノ浪・琴欧洲・白鵬)で、他の8人の大関(武蔵丸・千代大海・出島・武双山・雅山・栃東・朝青龍・琴光喜)には勝っている。特に対新大関戦は7勝1敗と圧倒しており、相変わらず新参大関にとっては関所役の、魁皇である。






102.千秋楽の、幕内優勝力士表彰式の時、通常は、優勝者を紹介するアナウンスは、「平成○○年□月場所、幕の内最高優勝は、△△××。成績は何勝何敗(または15戦全勝)であります。」となる。しかしただ一度だけ、成績を言った後に、「通算○回目の優勝であります。」と言った事があったのだ。平成2年九州場所の、千代の富士の優勝の時で、この時はアナウンス担当の行司は、「平成2年11月場所、幕の内最高優勝は、横綱・千代の富士貢、成績は13勝2敗、通算31回目の、優勝であります。」とやったのである。これは千代の富士本人も予想していなかったと見えて、成績が告げられると同時に土俵に上がろうとしたところ、いきなり「通算〜」ときたので、「え?」という感じで立ち止まり、優勝の回数が告げられると、「おお!」という感じでニッコリしながら土俵に上がった。館内も、このいつもと違うバージョンに沸いていた。この時の千代の富士は、休場明けながら大鵬の記録に後一つと迫った優勝。それだけに、アナウンス係も一層盛り上げようとしたのだろうか?






103.平成19年九州場所、前の場所で関脇中日勝ち越しを成し遂げていた安美錦が、5勝7敗と窮地に追い込まれながら、その後3連勝して見事勝ち越し、関脇の座を守った。関脇で中日勝ち越しを果たした力士は、これまで琴錦を除き、大関に昇進している(琴光喜も昇進したことで)が、同じく一人を除いて、中日勝ち越しの力士は翌場所勝ち越している。ただ一人、勝ち越せなかったのは武双山で、平成6年秋場所、関脇で初日から何と12連勝、結果も13勝2敗と素晴らしい成績を挙げたのだが、翌場所は一転、初日から5連敗を喫し、その後7連勝の離れ業を演じるも、最後はまた3連敗して惜しくも7勝8敗と負け越してしまった。その後も関脇生活が長引いたが、ようやく大関昇進を果たしたのだった。






104.先ほど、題目101で、魁皇の対新大関戦の強さについて触れ、また題目99では、千代大海の対新横綱戦全勝の記録を紹介した。その千代大海、何故か新大関には一度も勝った事がなく、平成19年九州場所で大関・琴光喜に完勝するも、前の場所は新大関だった琴光喜に敗れている。平成11年秋場所の出島から、19年秋場所の琴光喜まで、千代大海通算8人の新大関と対戦しているが、勝ったのは1人(武双山)だけで、1勝7敗という数字になっている。因みに平成18年初場所の琴欧洲新大関の時は、千代大海は休場しており、翌場所、大関昇進後の琴欧洲と初めて対戦して勝っている。新横綱には勝つのに、新大関にほとんど勝てないというのは、摩訶不思議な記録だ。因みに千代大海の場合、入幕後に初めて誕生した新大関が千代大海自身という、これもちょっと珍しい記録が残っている。






105.大関・千代大海は、平成20年初場所、初日から7連敗して、新年最初の白星を挙げられないまま、中日から休場したが、これで千代大海は、前場所14日目〜当場所中日まで通算10連敗となり、これは大関としては、史上ワースト記録の可能性もある。しかも、不戦敗が、1つなら分かるにしても、2つも含まれているのは、これも珍記録であろう。これまで、大関の初日からの連敗記録は、清国の6(7日目不戦敗)であったが、清国は前場所は、千秋楽に勝って11勝4敗だった。そして千代大海も、連敗記録前場所の成績は11勝4敗で、奇しくも同じである。千代大海の場合は、最後連敗しての4敗であった。清国は、連敗記録の翌場所に引退してしまっているが、千代大海はぜひ同じ道を辿らない事を祈りたい。






106.貴闘力は、平成8年春、9年春、同年秋、10年秋の各場所、平幕(いずれも前頭筆頭)から小結を飛び越して関脇に昇進した。比較的短期間に、4回も平幕→関脇昇進を記録した力士はかなりラッキーで、珍しい記録だと思う。一方、栃赤城は、昭和54年夏、55年初、55年秋と3回記録したが、これも短期間で、しかも栃赤城の場合、前場所の番付が、最初の時は前頭4枚目、2回目は筆頭だが、3回目の時も前頭張り出し2枚目という珍しいものだった。安芸乃島は、平成元年夏、2年名古屋、5年春に記録し、前場所はいずれも前頭筆頭である。小結→関脇や、小結→据え置きも経験している貴闘力、安芸乃島の旧藤島コンビに対して、3回の関脇昇進が全て平幕からで、小結を一度も経験しない状態で関脇を6場所務めた栃赤城の記録は、かなり異例と言えよう。因みに栃赤城は、新関脇の場所7勝8敗と負け越しながら、翌場所関脇に留まるというラッキー記録も出している。






107.上の題目106の最後で述べた事柄と共通しているが、出羽の花は関脇と小結の両方において、7勝8敗と負け越しながら、翌場所同地位に留まったというラッキー記録を出している。昭和58年名古屋場所、関脇で7勝8敗となったが、翌秋場所は関脇に留まった。そして昭和59年春場所には小結で7勝8敗となって、翌場所小結に留まれている。この種の記録は、上記の栃赤城や、大関まで上がった武双山・栃東も1度ずつ経験しているが、2度経験となると、私の知る限り出羽の花1人である。また、今名前を挙げた3力士が、いずれも『ラッキー残留』を果たしたその場所で、ツキを活かして勝ち越しているのに対して、出羽の花は2回とも二桁の負け越しを喫している。






108.もう一つ、出羽の花に関する記録である。出羽の花は昭和60年九州場所から昭和62年初場所まで、8場所に亘り、平幕・小結を交互に務めるという記録を出した(昭和61.初〜62.春まで小結・平幕が交互と言っても良いが)。一場所おきに小結というのを4回も繰り返すのも、なかなか珍しい事だと思う。この頃の出羽の花は、34歳〜35歳後半という大ベテランで、引退の約1年前という、力士生活の晩年でもあった。そういう時になって、落ちても落ちても三役に復帰するという土俵を見せたのは、立派だと言えるだろう。ちなみに、この後出羽の花は、昭和62年秋場所になって、4場所ぶりに小結に復帰しているが、これが最後の三役で、引退の実に3場所前であった。






109.井筒部屋の逆鉾と寺尾が、兄弟同時三役を成し遂げたというのは大変有名であるが、この兄弟同時三役は、通算で2回実現した。1度目は平成元年春場所であるが、これは寺尾が新三役で、兄弟で東西関脇を飾った(という事は、この時の寺尾も、平幕からの『飛び越し新関脇』だった)。そして2回目は平成2年九州場所で、この時は寺尾が関脇、逆鉾が返り小結だったが、兄のほうの逆鉾にとっては、これが最後の三役となった。2人は、弟の新三役と、兄の最終三役という区切りの場所で、同時三役を演出した事になるのだ。ちなみにこの2人も、題目106で述べた平幕→関脇昇進を2回ずつ記録しているが、特に逆鉾については、題目49を参照していただきたい。共に金星7個で横綱戦通算13勝という共通点もある。






110.大関在位8場所と、短命で陥落した雅山は、陥落後実に5年が経っていた平成18年、年6場所全て勝ち越しの記録を作った。これは雅山自身、土俵人生で初めての事で、大関在位が含まれる年も達成した事がなかった。元大関による、年間全場所勝ち越し自体、大変珍しい記録だと思うが、その年(平成18年)の成績も、自己初の60勝。夏場所には、14勝1敗の優勝同点を記録し、大関再昇進の一歩手前までいった。元大関による年間勝ち越しなら、34歳で平幕まで陥落した霧島も、平成6年に達成しており、出島も、陥落後5〜6年が経っていた平成18と19年、2年連続で成し遂げた事がある(その時の年齢は32〜33歳)。しかし雅山の様な記録を、それも入幕後で見ても、7年で初達成というのは、ある意味すごい記録ではないだろうか?






111.霧島は、30歳11ヶ月で、ワンチャンスをものにして大関に昇進したが、直前3場所の番付と成績は、小結10勝5敗、小結11勝4敗、関脇13勝2敗であった。昇進2場所前は、不運な小結据え置きとなった分けだが、その結果、大関昇進前に関脇を務めたのは、昇進を決めた場所と、新三役だった昭和62年初場所の2場所のみという、かなり異例の°L録となった。因みに新三役の時というのは、前場所の成績が12勝3敗。文句なしの昇進に思えるが、番付は前頭7枚目であり、かなりラッキーといえる昇進であった。仮に新三役の場所が小結だった場合は、霧島は大関昇進直前場所が新関脇という、これまた年6場所制では初であろう記録が、誕生していた事になる。






112.元大関・三根山は、大関から陥落した昭和30年秋場所、関脇で全休した。しかしその翌場所は、番付は前頭2枚目。全休したにもかかわらず、番付は僅か3枚しか下がっていなかった。古い時代は、番付の変動具合が今と大分異なっていたのは想像に難しくないが、それにしても関脇で全休→前頭2枚目というのは、今の時代なら考えられない様な、ラッキーな『小下げ幅』である。因みに三根山は、大関昇進前にも、関脇から平幕に陥落した事が2度あって、成績はそれぞれ4勝7敗(一場所11日時代)、3勝6敗6休だったのだが、翌場所はいずれも前頭2枚目であった。これもラッキーな下げ幅に思えるのはともかくとして、3回関脇→平幕を経験して、全て翌場所が前頭2枚目というのも、オマケの珍記録だと思う。更に三根山は昭和27年秋場所、関脇で6勝9敗だったのに、翌場所小結に留まったという、とんでもラッキー°L録を出している。






113.同じ関脇→前頭2枚目でも、関脇で千秋楽負け越しの7勝8敗で、翌場所、あろうことか前頭2枚目まで降下させられたという例もあった。平成4年初→春場所の貴闘力で、本当に時代違えば〜とは言うものの、人によって、ここまで番付は運不運の差がつくものなのかと思う。平成4年初場所は、東西の関脇がそれぞれ琴錦、貴闘力という好敵手同士だったのだが、2人とも7勝8敗で、翌場所琴錦が西前頭筆頭に、貴闘力が東前頭2枚目に、それぞれ降下したのであった。関脇で7勝の翌場所が前頭筆頭というのは、曙も同じ憂き目≠味わっているが、2枚目までとなると、さすがにこの時の貴闘力以外に見当たらない。現在でも、関脇で4〜5勝で翌場所前頭2枚目という状況は、見られる。






114.現在は粂川親方として、土俵下で審判としても目を光らせている、元小結・琴稲妻。平成6年秋場所、突如2大関を倒して気を吐く以前は、殊勲の星とは全く縁の無い、地味な力士であったかに思われるが、実は1度大関を倒している。平成元年春場所2日目の、大関朝潮戦がそれで、琴稲妻にとっては対大関戦、僅か2度目の挑戦だったのである。初挑戦は、朝潮を破る前日、春場所初日の旭富士戦。従って琴稲妻は、2日連続2度目の大関挑戦で、早くも『初銀星』を挙げていたのだった。全体の印象からはちょっと意外に思えるような、この『早期初殊勲』記録である。なお、初殊勲の相手となった朝潮は、この2日後を限りに引退した。






115.大関・魁皇の師匠としても知られる、元関脇・魁輝(友綱親方)は、三役在位通算4場所で、金星は3個であった。これだけ聞くと、魁輝は三役でも横綱・大関にほとんど勝てず、金星以外の横綱戦白星も無いのでは?と思えるだろう。ところが、意外と魁輝は三役での横綱・大関戦の勝率はよく、在位4場所の成績が8勝・3勝・5勝・3勝で計19勝であるにもかかわらず、横綱から3勝、大関からも4勝を挙げていて、4場所全てで横綱・大関を食っているのだ。特に唯一の関脇だった昭和54年名古屋場所は、3勝12敗に終わりながら、全盛期だった横綱・北の湖に勝つ大殊勲、そして大関旭國にも土を付けている。5勝10敗に終わった昭和55年名古屋場所にも2横綱に勝っており、とにかく三役では星は上がらずとも、コンスタントに上位を倒していた魁輝であった。






116.平成20年春場所は、皆勤した3大関が全て8勝7敗という、大関額面割れの場所であった。もう一人大関がいたが、こちらは途中休場。本当に大関の看板返上の運動が起こったとしても文句が言えない成績であるが、この結果、翌夏場所は、前場所8勝7敗でも、東正大関の地位に座る結果となった。まさに重み無き東の正地位。中でも大関陣の成績の足を引っ張る最高峰だったのが琴欧洲なのであるが、これがまた夏場所では、一気に中日勝ち越しを果たして、優勝争いの先頭を走る快挙。これで次の名古屋場所の東正大関は、それなりに名誉を挽回したものになる。もっとも、そこでまた崩れるような事があっては、元も子もないのだが・・・・・。






117.昭和52年春場所は、初日に、貴ノ花−旭国の大関同士の対戦が行なわれた。初日にいきなり大関対決というのは、少なくともこの場所以降は例が無く、長い相撲史の中でも最後の事であったと思われる。因みにこの場所から見た直前1年間を見ても、初日の大関同士(横綱・大関同士も含む)の対戦は無かった。この昭和52年春場所というのは、新大関若三杉と、再大関魁傑が誕生して5大関になった場所であり、初日にいきなり大関同士戦が組まれたのは、その関係もあったのかも知れない。因みに横綱は2人で、時に輪湖時代全盛期であった。






118.国民栄誉賞を受賞した、小さな大横綱千代の富士は、昭和56年春場所が新大関であったが、初日、元大関候補の栃赤城に敗れるスタートであった事は、比較的よく知られている。そして千代の富士は2日目に栃光(金城)に勝って初日を挙げ、3日目には舛田山に勝って白星先行としたが、初日から3日間の対戦相手が、偶然にも全て春日野部屋の力士であった。しかもこの場所は、春日野部屋の関取自体、上記3人しかおらず、千代の富士は、記念すべき新大関の場所に、初日から3日連続で、春日野部屋トリオと対戦が組まれるという、誠に地味〜な珍記録を作っていた。因みに新横綱の場所は、3日目から途中休場したが、初日の対戦相手は鏡山部屋の力士(蔵玉錦)、2日目はニ子山の力士(隆の里)、そして不戦敗となった3日目は大鵬部屋の力士(巨砲)であった。






119.昭和61年九州場所まで、11年間にわたって幕内にいた魁輝は、横綱・大関と対戦する地位も、昭和60年九州場所まで務めていたが、意外にも大関・朝潮との手合わせ(対戦)が無かった。朝潮の大関昇進が昭和58年夏場所。その後、少なくとも3回は対戦が組まれる可能性があったと思われるのだが、たまたま組まれないまま終わった。朝潮との対戦自体はもちろんあったわけだが、最後は昭和57年九州場所であった。その後丸4年間、一度も手合わせが無かったのは、ちょっと意外である。因みに魁輝は、昭和59年秋場所〜60年夏場所まで、5場所連続7勝8敗という珍記録も残している。






120.平成8年九州場所は、11勝4敗の力士5人による優勝決定戦という、前代未聞の事態となって、史上2度目の、優勝成績が11勝4敗という場所になった。そしてこの場所、新入幕を果たし、10勝5敗で敢闘賞を獲得した力士が、のちに大関となる栃東であった。栃東は、13日目、14日目と連敗し、千秋楽に勝って10勝となったのだが、もしあと一番勝っていれば11勝4敗となって、新入幕ながら優勝決定戦に出場するという、史上初の快挙を成し遂げるところであった。その結果もし優勝を果たしていたならば、栃東は新入幕で優勝という快記録を樹立するばかりか、親子2代で11勝4敗の優勝(11勝4敗での優勝第一号は、先代の栃東)という、誠にユニークな記録が誕生していた事になる。実際には新大関で初優勝をした栃東。平成8年九州場所にあと1勝していれば、新入幕、新大関でいずれも優勝という、これまたすごい快挙を成し遂げていたところであった。今思えば非常に惜しまれる、新入幕栃東の5敗≠ナあった。






121.横綱・栃錦と同部屋だった鳴門海は、2度に亘り、負け越した翌場所に番付が上がるという幸運珍記録に恵まれている。1度目は昭和32年初場所、西前頭5枚目で6勝5敗4休。しかし翌場所は西前頭4枚目と、番付が上がったのである。6勝しか出来なくても番付が上がる・・・・・、信じられない様な現象が、この当時は起こっていたのであった。そして2回目は昭和34年秋場所。鳴門海は西前頭14枚目で7勝8敗。しかし翌場所は、西13枚目と、1枚上がったのである。この場所は、前場所に東14枚目で7勝8敗だった若葉山、西16枚目で同じく7勝8敗だった星甲も、同じく1枚番付が上がっている。同じ6勝や7勝でも、番付が下がった力士もおり、本当に今から見れば激謎≠ネ、負け越し力士の番付上昇であった。






122.平成元年名古屋場所、幕下において、かつて大関・貴ノ花と対戦した元関脇・鳳凰が、貴花田と対戦して勝利。親子に勝ったと話題になった。この場所、もう一人、大関・貴ノ花に勝った経験のある元関脇で、貴花田と対戦してもおかしくなかった力士がいたのだ。それは栃赤城。栃赤城と貴花田の番付は僅か2枚しか違わず、しかも成績も近かったので、割が組まれるチャンスだった。もし対戦があれば、鳳凰に続いて栃赤城も貴花田(親子)と対戦したという事で、話題になっていただろう。次の秋場所は、貴花田は全勝で幕下優勝。対する栃赤城は一番相撲に破れたため、この時点で対戦無し、であった。因みにその秋場所、栃赤城は若花田と番付が2枚違いとなり、若花田も一番相撲は黒星であった。そのため、若花田と割りが組まれるチャンスだったが、組まれなかった。栃赤城は現役最末期、大きな話題のタネを逃す格好になったのだった。






123.一度は幕内で12勝の大勝ちを果たし、敢闘賞にも輝きながら、現在は十両に甘んじている豊桜。3年間に入幕7度と、短期間にこれだけ『エレベーター』を繰り返したのもちょっとした記録だが、7度も立て続けに入幕した内の、6度までが地方場所というのも、面白い偶然である。それも、大阪・名古屋・九州の各地方場所で、きれいに2回ずつ入幕を果たしているのだから、この『公平性』もまた、地味〜に珍記録かも・・・・・。ただ一度東京場所で入幕をした時は初場所で、最後の入幕の時にはいきなり東前頭8枚目からの高位置入幕を果たしている。






124.花ノ国は、横綱・千代の富士の46連勝達成の時と、通算1000勝達成の時の対戦相手になった事で知られている。大横綱の素晴らしい記録達成の陰で、その時の相手に2度も当たった花ノ国は、幸運か不運なのか良く分からないが、実はもう一度あった、と言ったらどうだろうか?昭和63年名古屋場所2日目、千代の富士は花ノ国と初顔の対戦を行い、完勝したが、実はこの一番で大鵬の持つ通算勝ち星(=872勝)の記録を抜いたのである。後々、千代の富士−花ノ国戦にまつわる話の中でこの事が取り上げられなかったところを見ると、あまり注目されていなかったのかも知れないが、花ノ国は初顔でいきなり、千代の富士に大記録を献上していたのである。そして2度目の対戦が、例の46連勝達成の一番。花ノ国は千代の富士戦で2回連続、記録達成の引き立て役となるという、何とも奇妙な巡り合わせを演じたのだった。そして横綱が更新した記録は、いずれも大鵬のものというのも面白い一致だ。






125.太寿山といえば、あの大横綱北の湖に度々土を付けた事で注目されたが、同時期に千代の富士にも再三土を付け、入幕から4年間で金星を7個も獲得した。だがその一方で、大関からは全く白星が無かった事はご存知だろうか?太寿山は、初めて大関に土を付けたのが、昭和59年名古屋場所14日目の琴風戦で、それまでは大関戦の白星が皆無だったのだ。これは一つには、この時期、隆の里・若嶋津という同部屋の大関がいたというのもあるのかも知れないが、他にも琴風・朝潮・北天佑といった大関がいた。しかし何故か太寿山は大関陣に極めて分が悪く、ことに琴風には1勝12敗と、全くのカモにされていた。こうした事が響いて、横綱キラーの銀星無縁となっていたのであるが、その一方で大関に4場所しかいなかった北尾には一度勝っており、不思議な感じがする。結局、後年になって、一場所2大関倒しも成し遂げ、最終的には6回大関に勝った。それでも対横綱戦9勝よりは少なくて終わっている。






126.時天空は、平成20年の年6場所、幕内で皆勤して、全て負け越しで終わってしまった。これは平成15年の貴ノ浪以来、5年ぶり4人目となる悔しい記録だが、明けて平成21年初場所では、7場所ぶりの勝ち越しを果たした。この、幕内で年間全場所負け越しの翌場所、同じ幕内で勝ち越しを果たした例は、貴ノ浪に続いて史上2人目。しかし貴ノ浪は8勝7敗で、それも千秋楽の勝ち越し。時天空の場合は9勝6敗で、貴ノ浪の記録を更新するものとなった。因みに時天空は、年間全場所負け越し力士の中でただ一人、二桁黒星が一度も無い負け越しを記録した力士となっており、そもそも二桁黒星自体、平成18年夏場所を最後に経験していない。二桁白星も18年名古屋場所以来無いので、大勝ちもしないが大負けもしない、ある意味安定した力士の典型と言える。






127.勝ち越しはほとんど無くても、ずっと大負けは無いと言えば、現役最後の1年間の安芸乃島もそうである。長く幕内を務めた力士の多くが、最後は十両に落ちても相撲を取り続ける中、幕内でキッパリ現役に終止符を打った安芸乃島は、最後の6場所、勝ち越しは9勝6敗が一度だけ。しかし残りの場所も、一桁の黒星で終わっており、特に最後となった平成15年夏場所は、14日目に負け越し。そのまま千秋楽を取らずに引退していった。いかにも気力が抜けましたという大負けが、引退直前の1年間、全く無く、最後の場所も、「まだ取れるのでは?」と思わせる様な、比較的安定した成績や取り口を見せていた安芸乃島は、当に引き際の美を体現した力士であった。内心は未練も無くはなかったのだろうが、潔い引退は、今振り返っても素晴らしいと思う。






128.昭和の大横綱北の湖と、平成の大横綱貴乃花は、ともに横綱在位も長く、自分以外の多くの横綱と対戦している。しかし不思議なことに2人とも、対戦した最新の代の横綱からは、たったの1勝しか挙げていないのだ。北の湖は、59代横綱・隆の里との対戦成績が1勝4敗。一方の貴乃花は、67代横綱・武蔵丸との対戦成績が何と1勝7敗だった。ただ、貴乃花は優勝決定戦では横綱・武蔵丸に2勝しており、この点は北の湖−隆の里戦とは状況が異なる。しかし少なくとも本割での対戦に関しては、2人の大横綱が、自身の在位中最後に誕生した横綱に1勝しか出来ないという、意外といえば意外な記録を残した。ちなみに最後の横綱≠ヘどちらも、先輩大横綱より1歳上である。






129.現追手風親方の大翔山は、横綱に通算3勝、大関に通算2勝しているが、この内大関戦の初白星を挙げたのが、対横綱戦の3勝(いずれも金星)をマークした後である。大翔山は平成3年初場所に横綱・北勝海に勝って初金星、同年名古屋場所にも北勝海に勝ち、対北勝海戦は2戦2勝。さらに大乃国にも勝って、W金星を挙げた。そして大関に初めて勝ったのはこの7場所後、平成4年秋場所で、相手は曙であった。大翔山は、早々に金星を稼ぎながらも、銀星には縁が薄かったと言える。因みに大関戦2勝目は、平成5年初場所の小錦戦である。これと似たような記録(金星ホルダーでも銀星は縁薄)は、題目125の太寿山でも見ることが出来る。






130.現在大関に昇進している把瑠都は、平成18年春場所に十両で全勝優勝を成し遂げ、これは昭和38年の北の富士以来、43年ぶりの快挙だった。しかしこれだけでは終わらないチャンスが、その後もあった。幕内から十両に陥落していた平成19年夏場所で、7日目に光龍に敗れたのみの14勝1敗で優勝。もし光龍戦の敗戦が無かったら、史上初の、1人で2度の十両全勝優勝の記録を達成するところだった。大関まで上がった今、把瑠都が十両で相撲を取る事は恐らく無いだろう。本当にもったいない、“十両での1敗”だった。因みに把瑠都はこの2場所後、平成19年秋場所でも、13勝2敗で3度目の十両優勝を果たしているが、3度の優勝で13勝が最も低い成績というのも、史上1人のみではないだろうか?14勝1敗での2度の十両優勝なら、豊ノ島も成し遂げている。






131.大関になってから、優勝が1度あるものの、それ以外は一部好成績が見られる以外は総じてふがいない成績が多く、特に後半〜終盤戦のふがいなさが目立つ、大関・琴欧洲。綱盗りの話題にも上らなくなり、最早地味で影の薄い大関の一番手となった印象があるが、実はこの力士一人しか成し遂げていない名誉な記録がある。それは、朝青龍・白鵬の2横綱を、一場所に両方破るという記録である。そう、ともに『歴代最強候補』の勝率を誇る2横綱が君臨していた時代、この2人を同一場所に撃破したのは、琴欧洲ただ一人なのだ。そしてその記録を成し遂げた場所は平成20年夏場所、初優勝を決めた場所である。この場所、琴欧洲は11日目に朝青龍、12日目に白鵬と、連続で横綱を破った。意外に知られていない事だが、この様な隠れた記録の持ち主でもあるのである。






132.白鵬は、その強さと安定感もさる事ながら、歴代横綱の中でも金星配給数が最も少ない横綱として、名が残る事は間違いないと思う。何しろ、横綱在位22場所の時点で、金星はたったの5個しか与えていないのだ。そしてその中でもキラリと光るのが、稀勢の里が白鵬から2個金星を獲得しているという記録。ともに白鵬その場所14勝1敗で優勝しており、稀勢の里は平幕ながら、2回も全勝潰しをした事になる。ちなみに最高位関脇以下の力士の中では、ほかに安美錦が、横綱白鵬に2回勝っている。一度は金星だが、もう一度は小結だった。白鵬に複数回、全勝潰しをしたのは、日馬富士と稀勢の里だけで、しかも稀勢の里は平成23年初場所、やはり日馬富士以来2人目の、2場所連続横綱白鵬に勝つという大快挙をやってのけた。






133.平成22年九州場所、西前頭9枚目の豊ノ島が14勝1敗優勝同点という大活躍をしてのけたが、その1敗は、3日目に旭天鵬から喫した。そして遡ること10年前、平成12年の同じ九州場所、同じ西前頭9枚目で、千秋楽まで優勝を争い、13勝2敗で準優勝だった力士がいた。のちに平幕優勝を果たし、大関にも昇進した琴光喜だ。その時、琴光喜が2敗目を喫した相手は横綱・貴乃花で、その事は割りによく記憶されている。では1敗目は・・・・・?実は旭天鵬であった。旭天鵬は、10年の時を跨いで、終盤、1敗で優勝争いを盛り上げた平幕2人に、ともに土を付けていたのである。ちなみにこの2人、翌場所の番付では大きく明暗を分けてた。13勝を挙げた琴光喜が、一気に関脇昇進を果たしたのに対し、14勝を挙げた豊ノ島は、まさかの平幕止まりだったのだ。さて、優勝同点の14勝1敗という点では、旭天鵬はほかに、平成18年夏場所の関脇・雅山にも勝っており、人知れず(?)全勝キラーを演じている。






134.昭和14年1月、連勝が69で止まった双葉山は、その後連敗して大きく崩れ、かの有名な、「我未だ木鶏足りえず」の言葉を残した。それから約72年後、平成22年11月に連勝が63で止まった白鵬は、その翌日から見事に立ち直って勝ち続け、結局連勝を止められた1敗のみで優勝を果たした。「連勝が止まっても崩れなかったのは、あの双葉山でさえ成し遂げられなかった快挙」と、大いに称えられたものである。だが、双葉山が、連勝を止めた相手である安芸ノ海にその後二度と負けなかったのに対して、白鵬は翌場所、連勝を止めた稀勢の里に連敗してしまった。場所を通じては連勝が止まった直後、連敗しなかった白鵬だが、止めた相手には、双葉山とは対照的に連敗したのである。このあたりで白鵬も呟くべきではないか?「我未だ木鶏・・・・・」。






135.双葉山の連勝を止めた安芸ノ海が、それを転機として横綱にまで上り詰めたのは今さら述べるまでも無い話だが、双葉山の連勝ストップのすぐ翌場所、今度は自らが双葉山に連勝を止められた事実を知る人は、どの位いるだろうか?昭和14年夏場所、安芸ノ海は前場所の大殊勲で弾みが付いたか、初日から8連勝してストレート勝ち越しを決めた。前場所の千秋楽にも勝っているから、通算9連勝となったわけだが、10連勝を懸けた一番で破れ、その相手は双葉山だったのだ。『安芸ノ海10連勝成らず』は余りにも地味なニュースで記憶にこそ残らなかったが、安芸ノ海は、自身が連勝を止めた相手から、すかさず連勝を止められるというリベンジを食らったのだった。因みにその後も安芸ノ海は、大関時代の昭和17年春場所13日目に双葉山に敗れ、初日からの連勝を12(通算でも)で止められている。






136.かつて横綱キラーの筆頭だった土佐ノ海は、平成14年九州場所から15年夏場所まで、実に4場所連続初日に朝青龍と対戦した。詳しくは分かりかねるが、初日に4場所も連続で同じ相手と当たるというのは、かなりの珍記録ではないだろうか?そして結果は全て黒星であった。平成15年名古屋場所、土佐ノ海は5場所ぶりに、初日ではない日に朝青龍と割りが組まれたが、結果は不戦勝。朝青龍にとって、不戦勝を与える最初の相手となった。土佐ノ海は、下位にいた頃の朝青龍には強かったが、大関昇進以降の同相手には、一度も勝てなかった。






137.昭和58年夏場所、関脇北天佑が14勝1敗で優勝し、場所後大関に昇進。翌名古屋場所には大関隆の里が、同じく14勝1敗で優勝し、場所後横綱に昇進した。2場所連続、優勝力士が場所後に昇進を果たし、成績がいずれも14勝1敗となった分けであるが、この1敗の相手というのが、北天佑の時は隆の里で、隆の里の時は北天佑だったのだ。つまりこの2場所、北天佑と隆の里は、互いに自分が優勝した場所は相手に全勝を阻まれ、優勝しなかった場所は相手の全勝を潰すという、何とも面白い『全勝潰し交換』を演じたのである。そして、全勝を潰した側の番付(昭和58年夏の隆の里と、名古屋場所の北天佑)は、いずれも大関であった。






138.晩年こそ、『ハチナナ大関』の代名詞の様になってしまい、年間6場所全て8勝7敗という、決して褒められない記録を作った大関魁皇であるが、大関在位5年半が経過した平成18年初場所以前は、大関で8勝7敗という成績は一度も無かった。休場は8度にも及び、7勝8敗で負け越した場所もあったが、勝ち越した場所は9勝6敗が一度ある以外、全て2桁だったのである。初の8勝7敗の場所は、5勝7敗から3連勝という薄氷を踏む勝ち越し。以降、一桁勝ち星の王道をゆく様になってしまった。






139.霧島は、30歳を過ぎてから体重の増量に励んで大変身を遂げ、一気に大関に昇進した。そして大関昇進を決める7場所前、霧島は1勝14敗という大敗を経験している。正確な記録はまだ分からないが、歴代の大関(そして横綱)の中でも、1勝14敗という成績を経験したのは、霧島1人ではないだろうか?1勝14敗だった場所は小結であったが、それから僅か1年後には同じ小結で11勝4敗。次の場所は関脇で13勝2敗で優勝同点で大関を射止めたのだから、すごい大化け振りと言える。平成3年初場所、あの1勝14敗から丁度2年、霧島は14勝1敗で優勝した。そして最終的にも、幕内通算成績は5割以上をマークしたのである。






140.大関在位数単独1位の記録も打ち立てるかと思われた魁皇は、結局在位65場所目で引退し、かつての戦友、千代大海を超える事は無かった。そしてもう一つ、魁皇が超える事の無かった千代大海の記録がある。それは、大関在位65場所目における出場日数である。千代大海は平成21年九州場所、初日から2連勝の後、8連敗して大関陥落が決定し、翌日から休場した。つまり、在位65場所目を務めたのは、10日目までとなったのである。そして平成23年名古屋場所、魁皇は10日目に7敗を喫したのを最後に引退し、大関在位65場所目の、11日目の土俵を務めるという史上1位の記録は、幻に終わった。






141.平成2年秋場所6日目限りで引退した大関・北天佑は、最後から4番目の白星となる前場所12日目の白星が、横綱・北勝海からだった。この一番で勝ち越しを決め、その後さらに9勝目をマーク。次の場所、初日から2連勝の後4連敗し、引退したのだった。そして平成23年名古屋場所、3勝7敗の成績で引退した魁皇は、最後から4番目の白星となった平成23年5月技量審査場所千秋楽の相手が、横綱・白鵬だったのである。北天佑44場所、魁皇65場所と、ともに大関在位長寿記録を樹立した名大関にして怪力大関2人は、引退直前にも横綱を倒す力が残っていたのである。これも名大関たる所以か。






142.水戸泉以来の豪快な塩撒きと、勝負後のパフォーマンス、それにマメなファンサービスで人気が高かった北桜は、平成13年名古屋場所に新入幕を果たしたが、その場所は前頭9枚目と、一桁の地位からの新入幕であった。そして通算12場所幕内を務めたのだが、結局最高位は新入幕の場所となり、唯一の前頭一桁の場所ともなった。つまり、12場所中11場所が前頭二桁の地位となった分けで、これも比較的珍しい方かも知れないが、ただ一度の前頭一桁が新入幕で、その後最高位更新無しというのも、なかなかの珍記録だと思う。因みに平成17年初場所には、前頭17枚目で14日目までに9勝5敗。千秋楽、勝てば二桁白星で敢闘賞だったのだが、惜しくも敗れて受賞ならずだった。翌春場所の番付は前頭15枚目。もし10番勝って春場所を迎えていたとしても、最高位を更新出来たかどうかは微妙だ。






143.平成23年名古屋場所、12場所ぶり2度目の優勝を決めた日馬富士は、千秋楽、全勝優勝を懸けるも惜しくも敗れ、1敗。その相手は稀勢の里であった。ここで思い出されるのは平成21年夏場所、日馬富士初優勝の時。この場所の11日目、全勝の日馬富士は1差で追っていた稀勢の里と対戦、立ち合い変化で勝って館内のブーイングを浴び、結局この一番が利いて最終的に日馬富士14勝1敗、稀勢の里13勝2敗となった。もしこの場所の両者の対戦で稀勢の里が勝っていれば、千秋楽、白鵬と決定戦を行うのは稀勢の里のほうになっていたのだ。不本意な相撲で敗れた稀勢の里は、さぞかし悔しい思いをした事だろう。自分との直接対決で、ライバル日馬富士に優勝(決定戦出場権)を譲る白星を献上してしまった。そのせめてものリベンジを果たすかのごとく、次に日馬富士が優勝した時には、自らが唯一の土を付けた。






144.史上1位の、大関在位65場所で並ぶ千代大海と魁皇。優勝回数は、千代大海が3回、魁皇が5回であるが、最後の優勝は、千代大海が平成15年春場所、魁皇が平成16年秋場所で、ともに大関在位25場所目、4年前のこの場所が新大関という場所だった。何かと共通点が多いこの両大関だが、優勝の時期に関しても、この様な共通点がある。因みに、最後の優勝から引退までの場所数は、千代大海が41場所、魁皇が39場所で、千代大海が2場所多い。これは、千代大海は大関在位65場所目の翌場所も関脇で取り、また魁皇は、本来なら引退2場所前になっていた筈の平成23年春場所が、中止となったためである。この両者、ともに御当所九州だけ優勝が無く、東京・大阪・名古屋は制しているという点でも共通している。






145.昭和42年夏場所、東前頭3枚目の高鉄山は5勝10敗、西前頭3枚目の前の山(のち大関)は4勝11敗だった。いずれも大負けで、本来なら次の場所は、6枚目以下の地位に落ちるのが当然だろう。ところが翌名古屋場所の番付では、高鉄山が東前頭4枚目、前の山は東前頭5枚目となり、高鉄山は前場所負け越し5点で1枚、前の山に至っては、負け越し7点で1.5枚だけという、およそ考えられない様な、『小幅降下』となったのだ。因みに夏場所で、東前頭5枚目で5勝10敗だった若見山は、名古屋では東9枚目と、4枚降下となっている。番付は生き物とは言うものの、あまりにも極端な結果であった。平成24年秋場所で、前場所5勝10敗の高見盛が1.5枚しか下がらなかったという珍現象が生じたが(番付は十両)、過去にはもっと極端な例があった。






146.もろ差しの名人と言われた鶴ヶ嶺は、幕内で11勝4敗を8回経験しているが、8回の内7回は、33歳になる昭和37年以降、ベテランの域に入ってから成し遂げている。38歳まで幕内を務め、在位も77場所。長寿力士としても歴史に残る名力士だが、それを一つ象徴する様な、33歳以降の5年間で11勝4敗7回(10勝5敗2回)の記録となった。因みに、鶴ヶ嶺は幕内人生の早い段階で、14勝1敗と大勝ちして優勝決定戦を演じ、その後、11勝の常連となったのだが、二桁と縁が薄く、幕内で最高10勝だった息子2人を挟んで、孫弟子にあたる豊真将が、入幕後、早々に12勝と大勝ちして最後まで優勝争いに加わり、その後、11勝の常連となっている。隔世遺伝か?






147.平成の大横綱貴乃花は、平成5年初場所後、史上最年少で大関に昇進したが、昇進を決めた平成5年初場所は、最後まで優勝争いに残る活躍をしながら、三賞受賞が無かった。2場所前の平成4年九州場所も、関脇で9連勝を含めた10勝を挙げながら三賞無しとなっており、本来なら三賞受賞確率が最も高い筈の大関昇進直前場所と前々場所、共に三賞が無しの珍しい結果になった。特に直前場所での三賞無しというのは、私が知る限りでは、貴乃花(当時は貴花田)一人である。ここまでを読むと、貴乃花は余程三賞から見放された力士の様に思えるかも知れないが、史上最年少での初優勝の時には、18年4ヶ月ぶり史上3人目の、三賞トリプル受賞を果たしており、ダブル受賞も2回、通算9回。決して見放されていた訳ではない。






148.熱戦が多く、好カードだった琴錦−貴乃花(貴花田→貴ノ花)戦。中でも、九分九厘琴錦が勝っていながら、最後土俵中央で貴花田を押し倒そうとした瞬間、足が滑って同体取り直し、結局黒星になった平成4年秋場所の一番は忘れ難い。その一番を皮切りに、琴錦は貴花田(貴ノ花)戦6連敗を喫し、「まさかもう勝てないなんて事は」と思ったところで、平成5年名古屋場所、7場所ぶりに貴ノ花(当時大関)に勝ち、翌秋場所、因縁の一番から丸1年で、再び両者は物言い→取り直しとなった。そしてこの2度目の取り直し≠ナは、琴錦が勝利し、対戦2連勝を果たすとともに、前年の雪辱を果たす格好となった。いずれも最初の軍配は琴錦に上がっており、体勢も優勢だっただけに、取り直しを制した琴錦の喜びは、ひとしおだっただろうと想像する。因みに琴錦は、大関時代の貴ノ花に3連勝を果たし、計4勝しているが、これは、横綱に上がっていた曙との、2人しか達成していない記録である。






149.新旧交代の波が激しかった平成4〜6年、一時代を築いた大関が相次いで陥落した。平成5年初場所の霧島と、平成6年初場所の小錦で、2年連続同じ場所の関脇に、大関からの陥落力士の名前が載るという事自体珍しいが、それに加え、両年とも初場所後には新大関が誕生しておいる。従ってこの両初場所は、前場所まで大関だった力士と、場所後に大関に上がった力士が関脇の地位に混在するという、これまた珍しい記録が作られた事になるのだ。因みに、場所後に大関に昇進していった力士は、平成5年の時は貴花田(のち横綱貴乃花)、平成6年の時は貴ノ浪と武蔵丸(のち横綱)である。






150.平成2年秋場所から平成3年夏場所までは、千代の富士・北勝海・大乃国・旭富士の4横綱時代であった。この内千代の富士・北勝海・旭富士の3横綱は、揃って技能賞を5回受賞しており、同時に3人の横綱が、三賞の同じ賞を同じ回数受賞しているというのは、比較的珍しい記録だと思う。因みに殊勲賞と敢闘賞については、千代の富士は各1回ずつ、北勝海は各3回ずつ、旭富士は各2回ずつ、それぞれ受賞と、バラバラなのだが、3人とも殊勲賞受賞回数=敢闘賞受賞回数となっており、この点では共通している。何とも面白い一致ではないだろうか?因みに大乃国は、殊勲賞を5回、敢闘賞を2回受賞しており、『どれか一つの三賞を5回受賞』という条件で見た場合は、4横綱全員が該当する事になる。






151.平成24年秋場所、平幕の旭天鵬と高安が中日勝ち越しを決め、1横綱2大関と合わせて、5人が中日勝ち越しという快挙となった。平幕が2人中日勝ち越しというのは、それ自体なかなか無い事だが、顔ぶれが旭天鵬と高安というのは非常に興味深い。というのも、かたや昭和40年代生まれの関取最年長、こなた平成生まれの幕内2番目の年少力士だからだ。年齢差実に15歳5ヶ月、同時中日勝ち越しの世代差という意味では、史上1位可能性もある(実際、史上1位だった)。少なくとも38歳での中日勝ち越しというのは、史上最年長記録となろう。旭天鵬にとって、平成24年はすごい1年となった。因みに、今場所の平幕中日勝ち越しはこの2人だけだが、両者とも先場所は中日で負け越しており、しかも先場所中日負け越しはこの2人のみであった。何ともユニークな記録である。






152.平成24年夏場所、感動の初優勝を遂げた旭天鵬。大負けした翌場所を挟んで、優勝2場所後の秋場所は初日から9連勝となった。その前日、8連勝を飾った時点では、自身初の中日勝ち越しに高見山の通算勝ち星と並ぶという、両手に記録だった。そして9連勝をした一番で、高見山の通算勝ち星を抜き去り、そしてもう一つ、或る記録に並んだのである。それは平幕優勝者における、優勝2場所後の初日からの連勝記録である。これまでの最高は、私が知る限りに於いては、平成14年初場所の琴光喜の9連勝であり、旭天鵬はこの記録に並んだ。2日連続で、両手に記録という、めでたい日となったのである。因みに旭天鵬、平成24年夏場所6日目以降、10連勝→13連敗→11連勝(秋場所9日目現在)、およそ四つ相撲らしからぬ、大ツラ相撲である(笑)。また、11連勝した事によって、自己の持つ連勝記録も更新した。






153.平成生まれのホープ、高安は、平成24年秋場所、中日ストレート勝ち越しを決めた。9日目に敗れて連勝は止まったのだが、その前の名古屋場所、高安はその9日目から6連勝し、千秋楽、敗れていた。従って高安は、もしこの千秋楽の黒星が無かったら、名古屋場所9日目〜秋場所中日まで15連勝という、平幕としてはちょっとした連勝記録になっていたところだった。のみならず、名古屋場所で8連敗7連勝という、白露山以来の珍記録も誕生していたところだった。そういう意味では、惜しまれる千秋楽黒星である。






154.今や魁皇引退後の『ポスト土俵の鉄人』の感もある旭天鵬。依然、下位に下がれば2桁常連で益々元気だが、大島部屋から友綱部屋に移籍し、元魁皇の浅香山親方と“同部屋”になった。そしてこの魁皇と旭天鵬、両者は現役同士としては違う部屋だったから何度も対戦があった訳だが、忘れられない一番が一つある。平成23年名古屋場所5日目、魁皇が史上単独1位の通算1046勝を達成した一番、その時の相手が旭天鵬だったのである。旭天鵬は、相手に記録更新を献上するという、対戦相手としてはあまり嬉しくない役回りを演じた事になった。魁皇はその場所限りで引退。それから1年、平成24年夏場所。友綱部屋に移籍した最初の場所で旭天鵬は見事平幕優勝を果たし、万歳三唱の時には『部屋の親方』として元魁皇の姿があった。今度は魁皇(浅香山親方)が、相手を盛り立てる側に立ったのである。






155.横綱・北の湖は、大関・貴ノ花との優勝決定戦で敗れた昭和50年春場所が13勝2敗。そして悔しさを晴らして優勝した翌夏場所も13勝2敗だった。しかし面白い事に、両場所の2敗の相手が、ともに黒姫山と魁傑で、同じなのである。横綱がある2場所、同じ相手に負けての13勝2敗というのは探せば意外にあると思うが、2場所連続で、しかも共に下位の相手、その上内1人は関脇以下という事になると、なかなか珍しい記録かも知れない。北の湖は、大横綱だった反面、朝潮(元大関、現高砂親方)など、かなり特定の相手を集中的に苦手とする、という傾向が、あったのではないだろうか?






156.『蔵前国技館の最後』と『横綱・北の湖の最後』、この2つの出来事に共通して絡んでいる力士と言えば、真っ先に思い浮かぶ力士は多賀竜だろう。蔵前最後の場所で優勝し、北の湖最後の対戦相手となった。しかしもう一人、今や横綱の師匠となった旭富士(元横綱)も、上記2つの出来事に絡む存在だったのである。昭和59年秋場所初日、蔵前国技館最後の初日となったこの日、横綱・北の湖の対戦相手は旭富士であった。そして黒星を喫し、3日目から休場。明けて昭和60年初場所、新国技館最初の日(つまり初日)、北の湖の相手は再び旭富士となり、またしても敗れて、3日目に引退した。そう、旭富士は何を隠そう、この節目の両場所、共に北の湖の初日の相手を務めて、しかも共に勝つという仕事≠成し遂げていたのだった。そして、いずれの場所も、北の湖は2日目までしか相撲を取らなかった。北の湖が最後に皆勤したのは昭和59年名古屋場所だが、この場所は5日目に前場所の初日からの連勝が20に伸び、6日目に黒星を喫して連勝が止まった。その時の相手も旭富士であった。






157.横綱・日馬富士は新横綱の場所、終盤5連敗を喫した。4連敗となった時点で、新横綱の連敗として史上ワースト1位という不名誉な記録を作ってしまった。そして日馬富士は遡ること約4年前、新大関の場所でも、史上ワースト1位の、初日からの4連敗スタートを切ってしまったのだ。あの時はよく休場しなかったものだと思うが、新大関・新横綱と、4連敗でワースト記録更新となった分けで、その4連敗目を喫した時の相手が、いずれも稀勢の里なのである。新入幕同期の好敵手だが、同じ相手から、昇進場所の試練を受けた格好になった。






158.横綱・北勝海は平成3年初場所、大関・霧島と最後まで優勝争いを演じ、12勝3敗だった。そして翌春場所に右膝を痛め、夏場所を全休すると、名古屋は皆勤するも秋場所でまた全休、九州は途中休場して、翌平成4年初場所は三たび全休した。次の春場所は3日目から途中休場となり、そのまま夏場所前に引退を表明した。この結果北勝海は、引退から遡ること1年4ヶ月も前の、平成3年初場所が、例え1日でも東京場所の土俵に上がった最後になったのだ。あの、大関・霧島が初優勝を決めた一番。あれが、東京での現役最後の相撲になるなどとは、北勝海自身も思っていなかった事だろう。






159.昭和62(1987)年九州場所〜平成3(1991)年名古屋場所まで横綱に在位していた大乃国は、横綱として名古屋場所を4回経験しているが、皆勤したのは昇進後初めて迎えた昭和63年だけで、その後は平成元年(1989年)が序盤から途中休場、平成2年が全休で、平成3年は中日を最後に引退した。一つ前のネタである北勝海の東京場所出場とはまた少し違うが、年に1度の名古屋場所を、大乃国は横綱として4回経験しながら、9日目以降土俵に上がって皆勤した場所が、最初の1回のみで終わったのだった。






160.これはずっと昔から気付いていた事なのだが、何故か一行ネタに登場させるのが今回になってしまった(汗)。
北の湖と千代の富士。横綱昇進時期は丸7年、全盛期も7〜10年違い、引退の時期も6年以上違う。間に2人の横綱が誕生している。これだけ見ると、北の湖と千代の富士は、少なくとも5歳以上は年が離れている様に思える。しかし、実際には2歳と2週間しか離れておらず、一般の人ほどでは無いにしても、どちらかと言えば同年代なのである。北の湖が史上最年少関取→入幕→大関→横綱昇進の記録を次々に塗り替え、31歳で引退したのに対し、千代の富士は晩成型で、25歳で大関、26歳で横綱に昇進、記録に残る高齢横綱になって、36歳直前で引退した。この、ある意味対照的な経歴ゆえに、両者はとても年齢が2歳しか離れていないとは思えない、『異世代横綱』の印象を与えたのだ。因みに初土俵も、千代の富士は中学3年生の15歳だったが、北の湖はもっと早い13歳(中学1年)の時で、従って初土俵の時期は3年8ヶ月と、年齢差以上の開きがある。その一方で、共に新入幕の場所は5勝10敗、初場所関脇で14勝1敗で初優勝して翌春場所新大関、大関3場所で秋場所新横綱という、妙に共通点が多い面もある。






161.かつて幕内に千代白鵬という力士がいた。ちょうど白鵬が大横綱になりつつある時に入幕してきた力士で、そういう意味では、時の横綱の四股名をスッポリ含んでいる千代白鵬が、当の白鵬と対戦したら、その四股名の比較で話題を呼んでいたに違いない。これまでに、横綱の対戦相手の四股名に、自分の四股名がスッポリ含まれているという例は、あっただろうか?千代白鵬は、平成21年夏場所、前頭6枚目まで昇進した。ここで勝ち越せば、次の名古屋場所で対戦が実現すると思ったものであるが、この場所千代白鵬は途中休場してしまい、翌場所は幕内上位どころか十両に陥落、その後、再入幕を果たす事なく現役を退いていった。僅差で実現成らなかった、『二重四股名対決』だった。






162.平成25年は、前半3場所が終わって幕内での優勝成績がいずれも15戦全勝。だがこの前年の平成24年も、後半3場所の優勝成績は、それぞれ全勝・全勝・1敗であった。つまり、最後の九州場所がもし全勝優勝だったならば、実に丸1年、任意で区切った6場所全て全勝優勝という素晴らしい快挙が成し遂げられていた事になるのである。平成24年九州場所、優勝した白鵬に唯一土を付けたのは、『優勝争いと長期間縁が無い大関ナンバーワン』琴欧洲であった。結果論にはなるが、琴欧洲、自身の日頃の成績とは裏腹に、こういう時に実に心憎〜い黒星を与えるものである。






163.現役急逝した悲劇の横綱で知られる玉の海。最後の優勝が全勝優勝だった事は、当時からのファンの間では今でも印象に残っているだろう。その全勝優勝した場所が名古屋場所であった事から、名古屋・玉の海と言えば全勝というイメージが強いし、急逝するまでの1年が、現在の白鵬に勝るとも劣らない勝率である事から、横綱としては少なくとも毎場所2桁は勝っていたと思っているのではないだろうか?ところが、全勝する前年、横綱として1度目に迎えた名古屋場所は、玉の海は9勝6敗だったのである。それも序盤から3敗するという散々な出だしで、一桁勝ち星に終わった。意外な事だが玉の海にもこういう場所があったのだ。因みに、序盤に玉の海に土を付けた力士の内の2人は福の里と藤ノ川で、2人とも横綱を倒しながら、最終的には貴ノ花に8敗目を喫して7勝8敗に終わった。






164.平成25年名古屋場所、稀勢の里は場所前から「綱盗り!綱盗り!」と騒がれていたが、その前場所、千秋楽に琴奨菊に完敗した時点で、ある不安なデータが私の頭をよぎる様になっていた。それは、稀勢の里の大関昇進後の、千秋楽の勝率である。その時点で大関在位は9場所だったのだが、千秋楽の勝敗は、○●●●●●●○●。かねてより評されている様に、稀勢の里は場所を通じての成績はほぼ2桁を維持しており、安定感はあるほうと言えるが、最後の締めの一番に限っては極端な低勝率で、これが変に何かを暗示していなければいいが・・・・・、と思っていたものだった。果たして、この事とは関係無いかも知れないが、名古屋場所での綱盗りは失敗に終わり、早くても九州場所後にまで持ち越される事となった。来たる平成26年初場所が、稀勢の里新横綱となるのかどうか・・・・・。






165.綱盗りこそ失敗に終わった、平成25年名古屋場所の稀勢の里であるが、日馬富士・白鵬の両横綱を撃破し、これは平成20年夏場所の琴欧洲以来、実に5年2ヶ月ぶりの快挙だった。前回、琴欧洲の時は、朝青龍・白鵬の両横綱を破り、結果も14勝1敗で優勝であったが、琴欧洲の前は平成12年九州場所の曙で、貴乃花・武蔵丸の2横綱を倒し、やはり14勝1敗で優勝している(因みに曙自身も横綱)。曙から琴欧洲までは、実に7年半も空いていた事になるが、この間は貴乃花の長期休場や、その後の貴乃花・武蔵丸の引退によって、一人横綱の時期が長く続いた。琴欧洲から稀勢の里までの期間も、白鵬の一人横綱が3年半も続いた。稀勢の里は初めて白鵬・日馬富士の2横綱を同一場所で破る力士になったが、成績は11勝4敗で優勝圏外。優勝せずに2横綱を破った一つ前の例は、実は平成12年名古屋場所の魁皇である。貴乃花・武蔵丸の2横綱を破って11勝4敗、場所後、大関昇進を果たした。






166.平成25年初場所以降、琴欧洲・琴奨菊・稀勢の里・鶴竜の4大関時代となったが、この内優勝を経験しているのは、琴欧洲一人だけで、後は3人とも優勝未経験である(鶴竜は決定戦を一度経験)。4大関もいながら、優勝経験の無い大関が3人というのは、私の知る限りでは初めてのケースで、それほど過去に遡ってデータを調べた訳ではないが、少なくとも珍事ではあると思う。唯一優勝している琴欧洲も、今や大関最下位常連となってしまい、東正大関の座に最も多く君臨するのは、いまだ決定戦の経験も無い稀勢の里というのは、何とも面白い状況である。因みに琴欧洲は、関脇時代、それも新関脇の場所に決定戦も経験している(相手は横綱朝青龍)。






167.平成25年秋場所前、惜しまれながら引退した、元大関の把瑠都。大関として優勝も経験し、横綱近しの呼び声も高かった。そんな把瑠都はしかし、対横綱戦白星は、通算3勝のみで終わったのである。相手は全て白鵬で、関脇時代に1度、大関時代に2度倒している。優勝した白鵬に千秋楽、全勝阻止の白星を付けた事もあるが、対戦成績は3勝26敗。朝青龍戦も9戦全敗で、特に白鵬とは内容的には肉薄した大熱戦を展開していたにもかかわらず、横綱戦は通算で3勝35敗、超低勝率で終わってしまった。歴代でもかなりワーストクラスの記録かも。






168.毎年東京場所の前日に、優勝額の贈呈式が国技館前で行われる。直前場所と2場所前の優勝額が飾られ、その前で当該優勝力士が握手を交わすのであるが、同一力士が優勝している場合は、2枚の優勝額の間にその力士が立つ。優勝額には、全勝の場合は額の上部に『全勝』と書かれており、それ以外の場合は『優勝』と書かれている。年6場所制以降、優勝力士が同一で、なおかつ2枚とも額に『全勝』と書かれている(つまり、連続全勝優勝)ケースは、4例しかない。大鵬、貴乃花、朝青龍、白鵬で、各1回ずつ。全勝8回の大鵬は、連続全勝を3回しているが、東京場所→地方場所の順で成し遂げた場合のみ、上記の『ダブル全勝額』が実現する事になり、大鵬の場合、後の2回の連続全勝は地方場所→東京場所の順だった。そして史上最多の全勝回数を誇る白鵬。全勝4連覇という快挙も成し遂げているが、東京→地方の順で成し遂げたのは実は1回(平成22年夏、名古屋)だけである(平成25年九州現在)。






169.平成26年春場所千秋楽、大道は初日から14連勝していた十両・豊真将に勝ち、これにより、豊真将の十両全勝優勝は夢と消えた。その前年、平成25年の名古屋場所では、千秋楽に富士東に勝ったことで、自身の幕内での15戦全敗を逃れた。大道は、『千秋楽に勝って相手の全勝を阻止と、千秋楽に勝って自分の全敗を阻止』の両方を十両でやってのけたことになり、これはほかに例を見ないのではないかと思われる。因みに、大道に全勝を阻まれた豊真将も、東前頭筆頭にいた平成21年夏場所に、千秋楽に初日を出して感涙にむせいだことがある。【えびすこさんより提供、黒文字部分は管理人が補足






170.平成26年名古屋場所4日目、嘉風が32歳にして初金星を挙げ、史上最年長初金星の記録を更新した。しかし僅か5日後の同場所9日目に、同部屋の豪風が35歳で初金星を獲得し、一場所に2度、それも同部屋の力士によって最年長初金星の記録が塗り替えられた。嘉風の立場から見れば、自分が記録で首位に立ったのはたった5日ということになり、これは相当な珍記録と言える。因みに尾車コンビである嘉風と豪風は、以前よりお互いの番付差が2枚以内と、近くになる割合が比較的高く、平成21年以降で見た場合、実に以下の14場所に於いて、2枚以内差となっている。
平成21年初、平成21年春、平成22年初、平成22年春、平成22年夏、平成22年秋、平成22年九州、平成23年秋、平成23年九州、平成25年初場所、平成25年春、平成25年夏、平成26年夏、平成26年名古屋。
平成22年は、6場所中実に5場所に於いて2枚目以内となっており、本当に仲の良いお二人だと感心せずにいられない(笑)。【えびすこさんより提供、黒文字部分は管理人が補足






171.歴代横綱の内、第65代貴乃花、66代若乃花、68代朝青龍の三横綱は、横綱昇進以降、本場所での日本出身横綱との対戦がない。そして現役の3横綱、69代白鵬、70代日馬富士、71代鶴竜は、入幕以来本場所で、日本出身横綱との対戦がない。いずれも、現時点での最後の日本出身横綱である貴乃花が引退して以降に入幕を果たしたためである。白鵬・日馬富士とも入幕は平成16年。幕内在位10年で日本出身横綱との対戦がないのは、横綱ではこの2人が記録的に長くなっていると言える。引退まで日本出身横綱との対戦がない可能性もある。【えびすこさんより提供】






172.平成26年名古屋場所14日目に対戦が組まれた旭天鵬−若の里が、合計年齢77歳10ヶ月ということで話題となった。2力士の合計年齢としては、史上最高齢の可能性がある。中でも『レジェンド』の呼び名も定着しつつあるのが旭天鵬であるが、旭天鵬は平成23年の同じ名古屋場所5日目、当場所限りで引退した大関魁皇と対戦、魁皇が1046勝目を決めた一番だったが、この時点での両者の合計年齢も75歳9ヶ月で、横綱大関が絡む取組としては記録的な高年齢であるとともに、関取に於いて、昭和40年代生まれ同士が対戦した一番としても、最後の一番になると思われる。最近は力士の現役寿命も長くなったと見え、合計年齢70歳以上の取組というのも増えてきたが、平成初期は少なく、幕内では平成3年夏場所2日目、横綱千代の富士が通算1045勝目をあげた板井戦が合計年齢71歳1ヶ月、十両では平成元年名古屋場所の舛田山−蔵間の合計74歳10ヶ月というのが目立つぐらいであった。【えびすこさんより提供、黒文字部分は管理人が補足






173.横綱白鵬は、平成26年九州場所の大関琴奨菊戦で勝利し、対琴奨菊戦の成績が41勝4敗となった。この年の春場所で、琴奨菊は大関在位15場所目にして、昇進後初めて白鵬に勝ったが、その後白鵬が3連勝して、ついに幕内同士に於いて、対戦成績が41勝に到達した。幕内同士としても、同一力士戦41勝は最多記録を2勝更新となるが、各段を通じても、これまで同一力士戦勝利の最多記録は、北の富士の対清国戦(昭和48年春場所)と琴錦の対安芸乃島戦(平成12年初場所)の40勝で、白鵬は、大相撲としての対戦成績の記録を更新したことになる。横綱として、勝率最高・休場皆無の2冠を誇る白鵬は、いずれ誰かを相手にこういう記録も成し遂げるだろうと思っていたが、先ずもって琴奨菊戦で達成。今後も別の力士を相手に、少なくとも通算41勝以上の記録は達成する可能性がある。






174.元関脇栃赤城は、横綱昇進後の千代の富士と対戦経験がある最高位関脇以下の力士で唯一、対千代の富士戦の成績が勝ち越しているという。実際、幕内での栃赤城−千代の富士戦は栃赤城の8勝7敗で、最後は4連敗(横綱千代の富士には2戦2敗)したものの、勝ち越して終わっている。ただし、これは幕内に限ってのことで、通算では千代の富士が10勝8敗で2点勝ち越している。千代の富士は十両時代に、当時本名の金谷で取っていた後の栃赤城と、十両同士で3場所連続対戦していずれも勝っており、幕内では初顔で敗れたのだが、これも各段を通じては4度目の対戦だったのだ。因みに栃赤城は新入幕以前の十両在位が3場所で、この3場所が即ち千代の富士と対戦した3場所となっている。栃赤城は、十両時代は歯が立たなかった千代の富士に、幕内では一転、終始リードし続ける結果となったのだった。






175.現岩友親方の木村山は、幕内在位16場所と、それなりに幕内を務めているのだが、勝ち越しは僅か2場所(連続)、半分近くの7場所が7勝8敗だった。中でも最後の4場所は連続で前頭15枚目以下、3場所連続7勝8敗で、いつも落ちるか落ちないかスレスレで何とか残留という、心臓に良くない特徴を持ってしまった。ただ、八百長騒動による本場所中止の関連で、平成23年名古屋場所は、前場所負け越しながら番付が2枚上がるという変則事態が生じており、これもあって幕内に残る結果になったのは事実である。平成23年5月の技量審査場所は、7勝4敗から4連敗して負け越し。その後も2場所連続千秋楽に負け越した挙げ句、平成23年九州場所には力尽きたように、幕尻で4勝11敗と大負けしてついに十両に陥落し、二度と幕内には戻れなかった。






176.大関在位47場所を記録しながら、11勝以上が2場所だけという不本意な成績を残してしまった琴欧洲は、大人気大関だった魁皇の節目を、2年連続2度務めている。一つは平成22年夏場所千秋楽で、魁皇の通算1000勝達成の相手となった。もう一つは平成23年名古屋場所10日目で、この時は魁皇の現役最後の一番の相手となった。因みに琴欧洲は、平成17年九州場所後に大関に昇進したが、昇進前の最後の一番、九州場所千秋楽の相手は魁皇だった。また、魁皇は生涯最後の休場は平成22年名古屋場所で、怪我による途中休場だったが、休場の原因となる怪我をした一番の相手は琴欧洲である。






177.平成3年名古屋場所、横綱千代の富士引退後の新時代がどうなっていくか注目された中、いきなり思いもよらぬ力士が平幕優勝を果たした。最高位関脇の琴富士であるが、初日から13連勝してストレートに優勝が決定、初顔で勝った後8連敗中だった大関霧島や、一度も勝ったことの無かった横綱旭富士、大関小錦をなぎ倒しての優勝だった。しかしこの快進撃の背景に、実はもしかしたら伏線になったかも知れない、あるラッキーな1勝があった。3日目の花ノ国で、決まり手は不戦勝。確かに不戦勝は或る意味ラッキーな白星だが、三役未経験の平幕相手の不戦勝だから別に・・・・・、と思われるだろう。だが、実は琴富士、花ノ国戦に限っては滅法合口が悪く、それまで対戦成績1勝7敗だったのだ。だから、もし花ノ国が怪我をしていなくて対戦していたら、琴富士が負けていた可能性も高い。勝ち進んだ終盤に当たるのならまだしも、まだ3日目だったのだから、勢いも何もないだろう。そうなったら、果たして琴富士がここまで快進撃を成し遂げられたかどうか分からない。そういう意味では、隠れ決定打になっていたかも知れない不戦勝だった。






178.平成27年夏場所、横綱白鵬は、24年夏以来ちょうど3年振りに初日黒星発進となった。そして最終的にも11勝4敗と不本意な成績に終わり、優勝力士は照ノ富士、成績は12勝3敗で初優勝だった。そして前回の初日黒星の場所も、優勝力士(旭天鵬)は初優勝で12勝3敗だった。やはり大本命が崩れると、優勝ラインも異例の低ハードルになるという典型か?そう言えば貴乃花の絶頂期、その貴乃花が初めて休場すると、優勝成績がいきなり11勝4敗まで下がったということもあった。白鵬は、最近2回に限っては、初日に星を落とすと優勝成績は12勝3敗となり、自身は優勝を逃すという結果を招いたようだ。因みに初日黒星からの優勝は、白鵬自身、大関時代を含めて過去3回あり、千代の富士と並んでいる。そして横綱になって初めて初日黒星で優勝した平成19年九州場所は12勝3敗で、白鵬自身、35回の優勝の中でも唯一の12勝の優勝となっている。






179.『角界のレジェンド』と言われて久しかった旭天鵬は、平成27年名古屋場所を最後に、40歳10ヶ月で引退したが、涙の平幕優勝もさることながら、その翌場所、よもやの平幕据え置きの不運に見舞われたことが未だに脳裏に強く焼き付いている。結局引退まで三役に復帰出来なかった旭天鵬は、平成21年名古屋場所の小結を最後に、翌場所以降丸6年、35場所平幕にあり、それも35歳からの35場所連続平幕であった。連続平幕の記録では、現木瀬親方の肥後ノ海が平幕連続53場所の三役未経験で終わり、旭天鵬と同期同胞だった旭鷲山は、入幕4場所目で早々に小結に昇進して以降は、58場所連続平幕にあった。旭天鵬は、新入幕から新三役までに丁度4年(24場所)を要しており、この間2度十両に落ちているから、幕内としては20場所目が新三役であった。この時27歳。以来、34歳最後の場所となった幕内在位64場所目まで、関脇3場所、小結9場所を務めた。三役でも2度勝ち越しており(いずれも小結)、全体としては、三役経験はむしろ豊富な部類に入るだろう。実質同時引退の若の里と対比される機会が増えそうだが、決定的な違いは対横綱戦の実績。通算10勝を収めた若の里に対して、優勝まで果たした旭天鵬は僅かに4勝。それも最後は平成16年夏場所の朝青龍戦で、以来11年間横綱戦は全敗だった。優勝しながらここまで横綱戦の勝率が低い力士は、多賀竜や琴富士が思い浮かぶ。ただ、旭天鵬は大関には強く、三賞も前出の2力士が2回だったのに対し、7回を数える。






180.今、角界で最も存在感が濃く、人気も高い力士の一人に大砂嵐がいる。横綱初挑戦でいきなり連続金星を挙げたり、その後も再三二桁の大勝ちを果たして館内を沸かせており、この3場所で2度も11勝4敗を記録している。それでいて三賞受賞がまだ未経験というのは、印象度からするとかなり意外な気がする。幕内在位はまだ11場所(平成27年名古屋場所時点で)と、キャリアこそ浅いが、W金星を挙げながら負け越してしまった昨年の名古屋場所はしょうがないとしても、その後、敢闘賞の1回ぐらいは、当然取っていそうな気がする雰囲気の力士だ。






181.関脇栃煌山は、平成27年名古屋場所、鶴竜・白鵬と立て続けに横綱を破り、最終的には10勝だったものの、2横綱を撃破するあっぱれな活躍だった。関脇が2横綱を撃破したのは、平成26年名古屋場所の豪栄道(栃煌山と同じく、2日連続で鶴竜・白鵬に勝利)以来ちょうど1年振りだから、そんなに久しぶりではないのだが、現時点で大関未経験(最終的に大関以上に昇進した力士は対象外)の関脇としては、栃煌山は、平成3年名古屋場所の貴闘力以来、実に24年振りに、一場所2横綱倒しをやった力士となるのである。因みに貴闘力の時は2日連続ではなく、5日目に大乃国、7日目に旭富士に勝っている。将来、栃煌山が大関に昇進した場合はこの記録は解消となるが、仮に最高位関脇のままで終わったとすると、24年振りの快挙というのは永遠に記録として残ることになる。因みに貴闘力の前に一場所2横綱倒しをやった大関未経験の関脇は平成2年九州場所の琴錦で、6日目に旭富士、11日目に北勝海に勝ったが、平成ではこの3例となる。栃煌山は、もう関脇としてもキャリアが豊富な時点で2横綱倒しを果たしたが、貴闘力と琴錦の場合はともに新関脇の場所で果たしており、どちらも自身、生涯で唯一、一場所2横綱に勝った場所となっている。






182.前出の栃煌山が、既に何年も前から大関候補として期待されているが、初の2横綱倒しを機に、今度こそ昇進へと向かう可能性はあるだろう。そして、栃煌山が大関になるなら、同部屋のこの力士も、データ上、絶対に大関にならないと、ジンクスを破ってしまうことになるのである。その力士とは栃ノ心。小結を経験しながら幕下の実に55枚目まで降下し、そこから一気に這い上がって、平成27年秋場所では三役復帰が確実な情勢。もちろん、本人がこれで満足する筈がなく、早く関脇に昇進して逸ノ城らと並びたいところだろうが、栃ノ心といえば、十両で15戦全勝優勝を経験したことは記憶に新しい。平成時代では把瑠都以来2人目となったが、過去の十両15戦全勝優勝力士は、全て大関以上に昇進している。従ってデータ上、栃ノ心は大関に昇進しなくては、割が合わない≠謔、に思えてしまうのだ。平成の琴風とも言えるぐらいの地獄を経験した栃ノ心。かつて4大関倒しも果たし、再入幕後は金星も獲得した。年齢もまだ27歳。是非とも大関まで辿り着いてほしい力士である。