4代目朝潮(現高砂親方)、優勝力士に10回勝つ

今や独走態勢の最強横綱となった朝青龍、その朝青龍の師匠である高砂親方は、4代目朝潮だった現役時代、優勝力士に10回土をつける記録を出していた。
朝潮が活躍した当時の第一人者横綱であった北の湖・千代の富士に強く、特に北の湖には当たり前のように勝っていて、角界きっての北の湖キラーであった。
私が大相撲を毎場所観るようになった直後、朝潮は引退。今回題目に挙げたこの記録は、まだ私が相撲ファンになる前に達成していた記録である。
その意味で、懐かしくも新しく映る元“大ちゃん”の記録を、今一度振り返ってみることにしよう。 


回数 場所 優勝力士 番付 成績 当場所
朝潮成績
備考
昭和55年春場所 北の湖 横綱 13勝2敗 10勝5敗 朝潮(当時は朝汐)、初の殊勲賞。また本名長岡から改名後、初の三賞となった。
昭和55年夏場所 北の湖 横綱 14勝1敗 10勝5敗 前場所に続いて北の湖に勝ち、これで対戦成績は初顔で敗れた後、2連勝。
昭和56年夏場所 北の湖 横綱 14勝1敗 9勝6敗 三度優勝者北の湖を破る。朝汐は、3回優勝力士に勝って3回とも相手が北の湖。
昭和56年秋場所 琴風 関脇 12勝3敗 7勝8敗 千秋楽に対戦。琴風は既に前日に優勝が決定していた。
昭和56年九州場所 千代の富士 横綱 12勝3敗 12勝3敗 本割で千代の富士に勝った朝汐。12勝3敗同士の優勝決定戦となったが、敗れて賜杯を逃した。
昭和57年名古屋場所 千代の富士 横綱 12勝3敗 8勝7敗 4場所ぶりに、またも優勝者千代の富士に勝つ。朝汐は前場所に千代の富士と再び決定戦をおこなっており、敗れてしまっている。
昭和59年初場所 隆の里 横綱 13勝2敗 10勝5敗 この時点で朝潮(朝汐からの改名は昭57.九州)は大関5場所目。隆の里はこれが最後の優勝。
昭和59年秋場所 多賀竜 前12 13勝2敗 11勝4敗 蔵前国技館最後の場所、千秋楽に多賀竜と対戦。その前の一番で追っていた小錦が破れ、多賀竜の平幕優勝が決まっていた。
昭和61年夏場所 千代の富士 横綱 13勝2敗 9勝6敗 5連覇中の、全盛期の千代の富士に勝つ。朝汐は、優勝した北の湖・千代の富士に3回ずつ勝利。
10 昭和62年春場所 北勝海 大関 12勝3敗 9勝6敗 千秋楽に対戦。北勝海は既に13日目に優勝を決めていたが、その後連敗して終わってしまった。


以上、朝潮の、対優勝力士戦勝利の記録を振り返ってみた。
この中で私が特に注目するのは、昭和56年秋場所の琴風戦である。琴風(当時関脇。場所後、大関に昇進)は、前日に初優勝を決めたのであるが、その直接の決め手となった一番は自身の取り組みではなく、追っていた3敗の北の湖が、朝汐に敗れて4敗となった一番であった。つまり、琴風は、朝汐が勝ったお陰で優勝したという格好になったのである。しかし、結果的に琴風の優勝をアシストした朝汐は、翌日、その琴風を破る結果になったのである。何というか、“ちょっぴり皮肉味”の面白い巡り合わせである。しかもこの場所の朝汐は既に13日目に8敗目を喫しており、負け越してから残り2日間で優勝争いトップの二人を立て続けに破って締めくくったのだから、何ともユニークな実績である。
そればかりではない。朝潮はこののち昭和58年初場所、14勝1敗ながら決定戦で琴風に破れて優勝を逃し(琴風は2度目の優勝)、しかも本割の1敗も、琴風に喫したものであった。初優勝の時の琴風には、自分は負け越していても勝ったのに、2度目の時は、自分も琴風戦を別とすれば全勝と、絶好調だったのに破れた。このあたり、本当に朝潮の特徴がよく出ていると共に、相撲はメンタル面がウェイトを占めるスポーツだということを、改めて感じさせてくれる。
このほか、蔵前国技館最後の場所、多賀竜が平幕優勝をしたことは今でも記憶に残るところだと思うが、最後、優勝決定後の多賀竜に朝潮が勝ったということは、密かに忘れられているかも知れない(?)。



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