三賞同時受賞者の人数・顔ぶれ 〜琴錦編〜
現在、竹縄親方として、佐渡ヶ嶽部屋で後進の指導にあたっている、元関脇・琴錦。史上最強の関脇といわれ、同部屋の兄弟子長谷川(現秀ノ山親方)と並んで、関脇在位史上1位、・三役通算在位は歴代単独1位となっている。
三賞も、関脇在位記録で並んでいる長谷川が、通算8回と、比較的平凡な受賞回数だったのに比べ、琴錦は18回と、史上2位を誇っている。
平成10年初場所から平成11年秋場所までは、短い期間ながら琴錦が三賞受賞史上1位であった。さらにもう一つ付け加えるなら、三賞受賞回数は、長らく鶴ヶ嶺(先代井筒親方)の14回が最高で、のちに朝潮(現高砂親方)が並ぶも、『15回目の三賞』を受賞する力士はなかなか現れなかった。それが、平成10年初場所、琴錦が7回目の技能賞を受賞したことによって、通算15回となり、30年以上破られたことのなかった三賞の最高受賞回数が更新されたのであった。
ベテランになってからも、「目標はあくまでも大関」と公言していた安芸乃島と対照的に、琴錦はどこかで「関脇で満足」という気持ちがあったような感じだが、本当に、現在の部屋の後輩琴光喜とともに、大関の直前までいきながら怪我でUターン、という力士生活でもあった。
| 場所 | 受賞三賞 | 三賞 受賞回数 |
三賞同時受賞力士 ()内数字は回数 |
当場所 琴錦番付 |
当場所 琴錦成績 |
| 平成2年夏 | 敢闘賞 | 1 | 安芸ノ島(1)・孝乃富士 | 前頭6 | 9勝6敗 |
| 平成2年名古屋 | 殊勲賞 | 2 | 安芸ノ島(2)・春日富士 | 前頭1 | 9勝6敗 |
| 平成2年秋 | 殊勲賞 | 3 | 貴闘力(1) | 小結 | 9勝6敗 |
| 平成2年九州 | 殊勲賞・技能賞 | 4,5 | 安芸ノ島(3)・曙(1) | 関脇 | 10勝5敗 |
| 平成3年初 | 技能賞 | 6 | 曙(2)・巴富士 | 関脇 | 11勝4敗 |
| 平成3年秋 | 敢闘賞 | 7 | 若花田(1)・栃乃和歌・舞の海(1) | 前頭5 | 13勝2敗[優勝] |
| 平成3年九州 | 殊勲賞 | 8 | 武蔵丸・舞の海(2) | 小結 | 12勝3敗 |
| 平成4年九州 | 技能賞 | 9 | 琴別府 | 小結 | 13勝2敗 |
| 平成5年名古屋 | 敢闘賞 | 10 | 安芸ノ島(4)・若ノ花(2) | 前頭1 | 12勝3敗 |
| 平成6年春 | 技能賞 | 11 | 魁皇(1)・寺尾・貴闘力(2)・小城錦(1) | 関脇 | 10勝5敗 |
| 平成7年名古屋 | 殊勲賞 | 12 | 剣晃・琴の若・武双山(1) | 前頭1 | 8勝7敗 |
| 平成7年秋 | 技能賞 | 13 | 魁皇(2)・琴稲妻・土佐ノ海(1) | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成8年秋 | 技能賞 | 14 | 貴闘力(3)・旭豊 | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成10年初 | 技能賞 | 15 | 栃東(1)・武双山(2) | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成10年夏 | 殊勲賞 | 16 | 小城錦(2)・出島・若の里・安芸乃島(5) | 前頭2 | 11勝4敗 |
| 平成10年九州 | 殊勲賞・技能賞 | 17,18 | 土佐ノ海(2)・栃東(2) | 前頭12 | 14勝1敗[優勝] |
※三賞同時受賞力士で、四股名を青字で書いてある力士は、その場所が唯一の三賞受賞 若ノ花は、平成5年夏場所に、四股名を若花田から改名 琴の若、現在は琴ノ若(平成10年秋場所〜11年夏場所は琴乃若) |
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以上、琴錦の三賞受賞歴と、同時受賞力士の顔ぶれを列挙してみた。同時受賞力士の人数は計23人である。これは28人の安芸乃島より5人少ないが、延べ人数で見てみると37人となり、安芸乃島より4人多い史上1位ということになる。琴錦の場合は、複数回数同時受賞した力士の数がかなり多く、安芸乃島の5回を筆頭に、貴闘力(3回)、曙・若ノ花・舞の海・魁皇・小城錦・武双山・土佐ノ海・栃東(以上各2回)の、合計10人もいる。比較的受賞回数が少なかった舞の海や小城錦も顔ぶれに入っており、いかに琴錦が、同じ力士と同時受賞する相性が好かったかを物語っている。
琴錦は、初受賞が9勝6敗の成績で、最初の3回が(3場所)連続で9勝6敗だった以外は、一場所を除き、すべて2桁での受賞。平成7年名古屋場所に、1回だけ8勝7敗での受賞があるのはむしろ特異にさえ見える。
私自身が琴錦の土俵を振り返る時、どうしても忘れられない、ある悔しい一番がある。それは平成4年秋場所10日目の、対貴花田戦である。この一番、立会いから琴錦が攻勢で、最後は土俵中央で貴花田の腰が砕けるように背中から倒れかけたのだが、それを見た琴錦が最後にもう一押ししようとした瞬間、足が滑ってしまったのである。そのため両者が倒れるのがほとんど同時となり、軍配は琴錦に上がるも、物言いがついて同体取り直し。取り直しの一番では琴錦が敗れてしまった。もしこの時、琴錦の足が滑らなければ、勝負は琴錦の完勝で、若手貴花田に対して意地を示せていたと共に、この場所の成績も、実際は11勝4敗だったので、12勝3敗という事になっていた。
実は、この平成4年秋場所は、琴錦が唯一、2桁勝ちながら三賞を受賞出来なかった場所なのである。既に優勝も、三役での12勝も経験していた琴錦は、前頭筆頭で11勝だったこの場所、敢えて三賞の対象から外れたのかも知れない。だが、12勝していれば、さすがに敢闘賞の受賞は成っていたのではないだろうか?その場合、最終的にも通算19回受賞となり、史上1位は現在でも維持出来ていた事になるし、記録更新も、平成8年秋場所時点で行われていた事になる。
この対貴花田戦は、恐らく当時琴錦自身が最も勝ちたい相手との対戦だっただろうから、まずその点で悔しい一番だったと思うが、三賞の記録の面でも、惜しい一番となったように思う。
それでも、琴錦が若貴兄弟にとっても強敵で、当代きっての上位キラーだったことには違いない。
もう一つ面白い記録は、平成10年夏場所の受賞の時である。この場所は安芸乃島が15回目の三賞を受賞し、本来なら琴錦と並んでいたところであった。しかし、琴錦自身も同時に受賞したため、結局1位の記録は守られたのである。最終的には自分よりベテランに抜かれたわけだが、こういう『イタチごっこ』みたいな展開もあったのは興味深い。
琴錦は、私が最もひいきにしていた力士であった。平成10年九州場所14日目、2度目の平幕優勝が決定した時には、私も涙した。