右側の画像をクリックすると、次へ進みます。なお、実際にオークション等に出展≠キる事は有り得ません。念のため。(^_^;


これは1980年夏、家族で横浜へ旅行に行った時に購入した物です。神奈川県のバスルートマップで、
この2枚はいずれも表紙ですが、中身が地図になっています。そしてこの2枚、パッと見ると全く同じ写真に見えますが、
よ〜く見て下さい。写っているバスが、両側の表紙でそれぞれ違うのです。形を見てもなかなか分からないと思うので、
色を見比べてみて下さい。それにしても、80年当時は、まだまだモノコック型のバスが造られていた時代。写真のバスたちは
全て、当時の最新鋭か準新鋭ですが、本当に懐かしい形をしている事が、バスが好きな人だとよく分かるでしょうね。
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さて、この写真は1980年、実際にバスルートマップを購入した当時のスナップです。
肝心のマップが小さくしか写っていなくて分かり辛いかも知れませんが、ご了承下さい。
マップを手に、満面の笑みを浮かべているのが、7歳になって間もない頃の私です。
この時、小学校1年生でした。横浜市内のとある公園で撮ったものだと思いますが、
正確な場所は覚えていません。それにしても、バスに関するグッズだとここまで
嬉しそうな顔をする・・・・・。まあとにかく、周囲も呆れんばかりのバス大好き少年
だったのですね。そしてついでに(笑)、私のはいているサンダルにもご注目。
何だか、女の子がはくような物をはいています。当時はよくこの様なサンダルをはいて
いたのですが、正直言って、私はあまり好きにはなれませんでした(汗)。理由は・・・・、
女の子みたいだから!ただでさえこの頃は、女の子と間違われやすかったですから。 |


これは一体なんだと思いますか?電車の模型のようだ。『特急 河原町⇔梅田』と書いてあるから、阪急電車かな?いや、何か外見からして、
普通の電車というよりは寧ろ貨車に見えるぞ。色々な答えが聞かれると思います。実際、私もこの車両が人を乗せて走る電車なのか
貨車なのか、そして何型なのか、よく分かりません。というのもこれは絶対に、どこにも売ってはいない物だからです。
一見して手作りだと思われた方もいるでしょうが、実はこれは、私が小学校4年生の1学期(1983年6月)、急性盲腸炎で入院した時、
当時のクラスメートが、お見舞いにと言って作ってくれた物なのです。従って、小学生(9〜10歳)の手作りということになります。
もらった時、「何じゃいな?これは!」とビックリしたのを、今もよく覚えています。男子4〜5人による作品ですが、小学生が作った作品としては、
なかなか完成度が高いと、今見ても思います。車両は木の固まりを加工して作り、屋根上には太い針金や薄い鉄板をペンチで曲げて
パンタグラフとしました。さらにヘッドライトには、大きなサイズの押しピンを使っています。少し見えにくいですが、車体側面には、
4512という車番も書かれているのですね。何となく貨車のようには見えますけど、本当によく出来た作品で、23年以上経った今でも、
お宝≠フ一つとして保存しています。私もクラスの友達が入院した時には、このように励ましの作品を作りましたけど、
子どもの頃から手先が不器用な私は、全然上手くは作れませんでしたね(笑&汗)。
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これは、私が11歳(小学5年生)だった1984年8月、香港経由の飛行機で、イギリスのロンドンへ行った時に使用した物です。
『HONG KONG』という文字が見えることから分かるとおり、最初に香港に到着した際に発行された物なのですが、実は香港では時間待ちが4時間もあり、そのため搭乗客はいったん空港の外に出て、街を見物する事が許されたのです。そのことを証明するための、『許可書』がこの画像なのですが、漢字で『香港政府機場離境税(漢字は日本語書体に直しました)』と書かれています。そして、『CHILD(小童)』と書いてあるのは、私が当時11歳の子どもだったためです。
この出港許可書、よく今まで残っていたものだと思います。香港に行ったのはこの時が初めてで、3時間半ほど過ごしたと思いますが、のちに香港自体にも、旅行で2回行きました。いずれも1980年代、まだ中国に返還される前のことです。 |
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上下の画像とも、1990年に開催された、『花の万博』の会場マップです。会場の入口でもらいました。私にとって、
『ポートピア81』、『大阪城博覧会』に次ぐ3度目の博覧会体験となりましたが、いわゆる“万博”と名の付くものとしては、
この時が初めてでした。こちらのページに、入場券も展示しております。
それにしても、会場の案内図が残っているとは思っておらず、それこそ、掘り出していたら¥oてきました。
この当時はまだインターネットも無かったし、直接受け取ったこのマップが、今では貴重な記念物となっていると思います。
上の画像では、『花の万博会場ご案内』と、大々的に書かれており、各種イベントの紹介もしています。
下のほうに、『詳しい案内は公式ガイドブックを』と書かれていますが、これが今だったら『公式ホームページを』となるのでしょうね。
下は各エリア・パビリオンが細かく示されています。スキャナーの大きさの関係で、両画像ともマップを全面載せる事は出来ませんでしたが、
じっと見ていると、行った当時の記憶が蘇り、懐かしいですね。愛・地球博の思い出の陰に隠れていましたが、この度発見した一品です。 |
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「何やねん!ただの鏡じゃないか。どこが掘り出し物や?」という不満の声も聞かれるかも分かりませんが、右側の画像をご覧下さい。
『FLOWER&GREEN FESTA OSAKA’90』と書かれています。そう、この鏡は花博の時に会場で買った、花博訪問記念グッズなのです。
もう大分汚れて一部欠けてしまいながらも、なお愛用している我がハンドミラー。実は花博会場限定販売だったのでした。
というわけで、私の中では貴重品となっているのですが、一つ上の画像に続いて、花博関連が続きましたね。こういう、いつでも使う物が、
実は同時に記念品でもあるというのは、なかなかいいですね。これからも末永く愛用し続けることでしょう。
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これは1981年2月、初めて高知県に行った時に、大阪空港で買ったバッグです。高知には親戚がおり、そこでの法事に参加するために、飛行機で向かったのですが、その時乗った飛行機の会社は、今聞けば大変懐かしい、『TDA東亜国内航空』。画像のバッグと同じ、緑に赤が基調のカラーをした小型飛行機が飛んでいました。当時は大阪空港にいてても、出発や到着アナウンスで、『TDA東亜国内航空』の名前をよく耳にしたものです。
さて、そのTDAに乗ったわけなのですが、現在も高知へ行く飛行機では、小型のプロペラ機(会社はANA)が飛んでいますが、搭乗する際は、飛行機の機体から、収納式の階段が延びてきます。TDAの時代の飛行機では、いわゆる『階段自動車』が登場し、それを使って機内へと乗り込んでいました。このあたりの感覚も、非常に懐かしいです。
のちに『日本エアシステム』という名称に変更され、現在はその名前も姿を消しましたが、80年代初期の高知旅行で2回搭乗したTDA(いずれも往復)は、その個性的なカラーも相まって、すっかり当時の私の中で、印象に残るものとなりました。
今ではもう使わなくなったこのバッグは、かつては水泳用具を入れて、プールに行く時に使ったりしていました。このデザイン、称号、カラーともに、現在では貴重なものになっていると思います。 |
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みなさん、かつてこのような物が販売された事があるのを、ご存知だったでしょうか?これは1998年のゴールデンウィークに、阪急電鉄の『正雀レールウェイフェスティバル』に行った時に購入したものです。確か35tクレーンなどがある工場内で販売されていたように思うのですが、何しろ約10年前のことであり、記憶が定かではありません。現在では事前応募制になっている阪急レールウェイフェスティバルも、98年当時は(2002年頃まで?)自由参加制でした。そのため当日になって、出かけたわけなのですが、現在はかなり様相が変わっている工場北側(JR線寄り)で、1形と10形の体験乗車をしたほか、左画像の記念品を始め、さまざまなグッズが売られていました。
『惜別 1995』と書かれている、左の2800系ですが、実際にはこの当時、2300系2305編成に、3両の2800系が組み込まれて残存していました。その中でも私は特に、モーター車でギュインギュインとモーター音を出していた、C#2831に乗るのが一番好きでした。2回ほど、快速運用に就く同車に乗った時の感触は最高でしたね(笑)。2扉・クロスシート車時代の記憶が残っていないという点が、今でも非常に悔やまれる限りなのですが、95年に嵐山線で惜別運転が行われていた時は、私も乗りました。そんな事を思い出しながら、左の商品を買ったのですが、手で触った感じはズッシリと重く、何とも重厚感の漂う記念品です。 |
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これ、何だと思いますか?『走れ!鹿島鉄道』と書かれているから、今は無き鹿島鉄道のなにかだろうな、というのは分かると思うのですが、一番下をご覧下さい。『ヨーグルト カステラ』と書いてあります。そう、実はこれ、ヨーグルト カステラ(つまりお菓子ですね)が入っていた、包みなのです。この画像でほぼ実物大という大きさの包みの中に、ヨーグルト
カステラが入っていました。値段は忘れましたが(笑)、味はおいしかったですよ。
この、鹿島鉄道をデザインしたヨーグルト カステラは、私が07年2月12日に鹿島鉄道に乗った際、終点の鉾田駅構内で販売されていたものです。当日は、駅舎内で模型電車運転会もやっていました。大変な賑わいぶりで、廃止が約一月半後に迫っていた鹿島鉄道の別れを惜しむ、沿線住民や鉄道ファンで埋まっていました。私はこの日、朝食も採らずに鹿島鉄道乗り放題を行なっていたため、鉾田でお菓子が、それも包みに鹿島鉄道がデザインされた、『今だけ限定』の物になっているお菓子が売られているのを見て、すぐに買ったのでした。中身は帰りの列車の中で早速ペロリ。そして記念となる包みは、持って帰って中を丁寧に洗い、保存しておりました。包みの上に描かれている山は、筑波山でしょうか?そして車両は最古参のキハ600形と、最新鋭のKR500形が描かれています。
ところで、鹿島鉄道に関しては、他にも乗車券を保存しており、また画像も沢山撮影しております。乗車レポ&画像については、こちらからどうぞ。 |
かつて私は、映画俳優に憧れた時期がありました。実際に劇団の門をたたいて入団しており、公演舞台を経験した事もあるわけですが、
そんな時代が始まった頃である1997年1月、鎌倉シネマワールドを訪れました。この鎌倉シネマワールド、1995年にオープンするも、
98年12月に閉鎖。僅か3年数ヶ月の短い存在でした。96年8月に、松竹の看板俳優であった渥美清が亡くなったのが大きく影響
したと言われていますが、私が訪ねたのは、その渥美清死後5ヶ月目の時で、ちょうど世は『寅さんさよなら』ブームに沸いていました。
それだけに、シネマワールドも繁盛しており、大変な賑わいと、展示内容の充実といった最高の印象しか、私の脳裏には残っていません。
左がパンフレット表紙で、右が案内図と各ゾーンの紹介です。寅さんに憧れ、少しでもあのキャラクターを真似て≠ンたいと思っていた
私は、映画『男はつらいよ』のセットのコーナーを、最も長く見学していました。また、最上階に設けられたシネマでは、封切直後だった
『虹をつかむ男』が上映されており、私も観賞しましたが、こちらは空いていましたね。隣接していた松竹大船撮影所で、いつか私も一度でも
いいから仕事をしてみたい。そんな夢も持ちつつ、ほぼ専ら寅さんコーナーで過ごした、シネマワールドでの一日でした。2000年、その
大船撮影所も閉鎖。この地は松竹とは関係の無い場所となってしまいました。私がシネマワールドで見た光景というのは、松竹大船における、
賑わいの最後のピークだったのかも知れません。この頃、日常的にもしばしば映画館通いをしていた私(松竹シネクラブに入会していた)は、
現在は役者の世界から足を洗って既に久しくなり、めっきり映画館にも足を運ばなくなっています。世でも我でも、時代が流れましたね。
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JR利用者にはお馴染みの、『JR』マークですね。一体どこで撮影したのか?答えは私の実家です。これは鉄を文字の形に切り取って作った物なのですが、手に入れた場所はJR吹田工場です。1994年7月末、吹田工場が一般公開され、その時に工場内の一角で、不要となった鉄を、目の前で加工してこのような記念品を制作、販売していました。私も記念に買ったのですが、いくらだったかは覚えていません(笑)。実に正確に、車両に書かれている字体が再現されていますね。ちなみにこの吹田工場一般公開の情報を、ネットも無かった94年当時、どうやって知ったかというと、直前に青森まで旅行に行ったのですが、乗車した寝台車が工場前を通過した際、案内の看板が偶然目に止まったのです。
さて、買った当初はよく磨かれたきれいな鉄だったこのJRマーク、10余年の歳月が過ぎて、すっかりサビてしまいました。 |
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ちょうど二十歳になる時だった、1993(平成5)年7月、私は立山・黒部アルペンルートを訪れました。その時に手にしたパンフレット
です。この、黒部ダムのスケールの大きさや、放水の迫力のすごさは、15年経った今でもハッキリ覚えております。後にNHKの番組
『プロジェクトX』で、黒部ダムが取り上げられた時も、ここまでの物を命懸けで造った人たちの凄さを、思い知らされたものでした。
さて、この旅行で何故、立山・黒部に行きたかったかというと、実は目的はダムではなく、トロリーバスでした。扇沢から黒部ダムまでを
結ぶ、関西電力のトロリーバス。そのトロリーバスの車両が、ちょうど置き換えの時期を迎えていたのです。それまで走っていた、
1960年代製の、懐かしく貴重な旧タイプボディーの車両から、今風のボディーの車両に、全車が置き換えられようとしていました。
上の画像の右上にバスが写っておりますが、それが旧タイプのトロリーバスです。この様な形のバスは、当時、既にほかでは見られなく
なっていました。私は念願通り、旧タイプのトロリーバスに乗車し、その後、今ではトロリーバス化されているトンネルバスなどに乗って、
アルペンルートを横断しました。なお、このトロリーバスは、日本では立山・黒部のみで見られます。今ではパンフレットにも、当然新しい
トロリーバスの写真が載っているでしょうから、このパンフレットは、時代を物語る貴重な資料となります。また、画像では小さくて
見えないですが、実際には右端に、『平成5年4月作成』と書かれており、時代をハッキリ特定出来ます。下の画像で見られる時刻表も、
当然、今とは大きく異なっている事でしょう。このパンフは、私の二十歳を迎えた夏の思い出の、そして青春の思い出の一品です。 |
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