右側の画像をクリックすると、次へ進みます。なお、実際にオークション等に出展≠キる事は有り得ません。念のため。(^_^;


これは1980年夏、家族で横浜へ旅行に行った時に購入した物です。神奈川県のバスルートマップで、
この2枚はいずれも表紙ですが、中身が地図になっています。そしてこの2枚、パッと見ると全く同じ写真に見えますが、
よ〜く見て下さい。写っているバスが、両側の表紙でそれぞれ違うのです。形を見てもなかなか分からないと思うので、
色を見比べてみて下さい。それにしても、80年当時は、まだまだモノコック型のバスが造られていた時代。写真のバスたちは
全て、当時の最新鋭か準新鋭ですが、本当に懐かしい形をしている事が、バスが好きな人だとよく分かるでしょうね。


これは一体なんだと思いますか?電車の模型のようだ。『特急 河原町⇔梅田』と書いてあるから、阪急電車かな?いや、何か外見からして、
普通の電車というよりは寧ろ貨車に見えるぞ。色々な答えが聞かれると思います。実際、私もこの車両が人を乗せて走る電車なのか
貨車なのか、そして何型なのか、よく分かりません。というのもこれは絶対に、どこにも売ってはいない物だからです。
一見して手作りだと思われた方もいるでしょうが、実はこれは、私が小学校4年生の1学期(1983年6月)、急性盲腸炎で入院した時、
当時のクラスメートが、お見舞いにと言って作ってくれた物なのです。従って、小学生(9〜10歳)の手作りということになります。
もらった時、「何じゃいな?これは!」とビックリしたのを、今もよく覚えています。男子4〜5人による作品ですが、小学生が作った作品としては、
なかなか完成度が高いと、今見ても思います。車両は木の固まりを加工して作り、屋根上には太い針金や薄い鉄板をペンチで曲げて
パンタグラフとしました。さらにヘッドライトには、大きなサイズの押しピンを使っています。少し見えにくいですが、車体側面には、
4512という車番も書かれているのですね。何となく貨車のようには見えますけど、本当によく出来た作品で、23年以上経った今でも、
お宝≠フ一つとして保存しています。私もクラスの友達が入院した時には、このように励ましの作品を作りましたけど、
子どもの頃から手先が不器用な私は、全然上手くは作れませんでしたね(笑&汗)。
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| 上下の画像とも、1990年に開催された、『花の万博』の会場マップです。会場の入口でもらいました。私にとって、 『ポートピア81』、『大阪城博覧会』に次ぐ3度目の博覧会体験となりましたが、いわゆる“万博”と名の付くものとしては、 この時が初めてでした。こちらのページに、入場券も展示しております。 それにしても、会場の案内図が残っているとは思っておらず、それこそ、掘り出していたら¥oてきました。 この当時はまだインターネットも無かったし、直接受け取ったこのマップが、今では貴重な記念物となっていると思います。 上の画像では、『花の万博会場ご案内』と、大々的に書かれており、各種イベントの紹介もしています。 下のほうに、『詳しい案内は公式ガイドブックを』と書かれていますが、これが今だったら『公式ホームページを』となるのでしょうね。 下は各エリア・パビリオンが細かく示されています。スキャナーの大きさの関係で、両画像ともマップを全面載せる事は出来ませんでしたが、 じっと見ていると、行った当時の記憶が蘇り、懐かしいですね。愛・地球博の思い出の陰に隠れていましたが、この度発見した一品です。 |
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これ、何だと思いますか?『走れ!鹿島鉄道』と書かれているから、今は無き鹿島鉄道のなにかだろうな、というのは分かると思うのですが、一番下をご覧下さい。『ヨーグルト カステラ』と書いてあります。そう、実はこれ、ヨーグルト カステラ(つまりお菓子ですね)が入っていた、包みなのです。この画像でほぼ実物大という大きさの包みの中に、ヨーグルト
カステラが入っていました。値段は忘れましたが(笑)、味はおいしかったですよ。 この、鹿島鉄道をデザインしたヨーグルト カステラは、私が07年2月12日に鹿島鉄道に乗った際、終点の鉾田駅構内で販売されていたものです。当日は、駅舎内で模型電車運転会もやっていました。大変な賑わいぶりで、廃止が約一月半後に迫っていた鹿島鉄道の別れを惜しむ、沿線住民や鉄道ファンで埋まっていました。私はこの日、朝食も採らずに鹿島鉄道乗り放題を行なっていたため、鉾田でお菓子が、それも包みに鹿島鉄道がデザインされた、『今だけ限定』の物になっているお菓子が売られているのを見て、すぐに買ったのでした。中身は帰りの列車の中で早速ペロリ。そして記念となる包みは、持って帰って中を丁寧に洗い、保存しておりました。包みの上に描かれている山は、筑波山でしょうか?そして車両は最古参のキハ600形と、最新鋭のKR500形が描かれています。 ところで、鹿島鉄道に関しては、他にも乗車券を保存しており、また画像も沢山撮影しております。乗車レポ&画像については、こちらへどうぞ。 |
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JR利用者にはお馴染みの、『JR』マークですね。一体どこで撮影したのか?答えは私の実家です。これは鉄を文字の形に切り取って作った物なのですが、手に入れた場所はJR吹田工場です。1994年7月末、吹田工場が一般公開され、その時に工場内の一角で、不要となった鉄を、目の前で加工してこのような記念品を制作、販売していました。私も記念に買ったのですが、いくらだったかは覚えていません(笑)。実に正確に、車両に書かれている字体が再現されていますね。ちなみにこの吹田工場一般公開の情報を、ネットも無かった94年当時、どうやって知ったかというと、直前に青森まで旅行に行ったのですが、乗車した寝台車が工場前を通過した際、案内の看板が偶然目に止まったのです。 さて、買った当初はよく磨かれたきれいな鉄だったこのJRマーク、10余年の歳月が過ぎて、すっかりサビてしまいました。 |
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| ちょうど二十歳になる時だった、1993(平成5)年7月、私は立山・黒部アルペンルートを訪れました。その時に手にしたパンフレット です。この、黒部ダムのスケールの大きさや、放水の迫力のすごさは、15年経った今でもハッキリ覚えております。後にNHKの番組 『プロジェクトX』で、黒部ダムが取り上げられた時も、ここまでの物を命懸けで造った人たちの凄さを、思い知らされたものでした。 さて、この旅行で何故、立山・黒部に行きたかったかというと、実は目的はダムではなく、トロリーバスでした。扇沢から黒部ダムまでを 結ぶ、関西電力のトロリーバス。そのトロリーバスの車両が、ちょうど置き換えの時期を迎えていたのです。それまで走っていた、 1960年代製の、懐かしく貴重な旧タイプボディーの車両から、今風のボディーの車両に、全車が置き換えられようとしていました。 上の画像の右上にバスが写っておりますが、それが旧タイプのトロリーバスです。この様な形のバスは、当時、既にほかでは見られなく なっていました。私は念願通り、旧タイプのトロリーバスに乗車し、その後、今ではトロリーバス化されているトンネルバスなどに乗って、 アルペンルートを横断しました。なお、このトロリーバスは、日本では立山・黒部のみで見られます。今ではパンフレットにも、当然新しい トロリーバスの写真が載っているでしょうから、このパンフレットは、時代を物語る貴重な資料となります。また、画像では小さくて 見えないですが、実際には右端に、『平成5年4月作成』と書かれており、時代をハッキリ特定出来ます。下の画像で見られる時刻表も、 当然、今とは大きく異なっている事でしょう。このパンフは、私の二十歳を迎えた夏の思い出の、そして青春の思い出の一品です。 |
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日頃、毎日のようにデジカメで写真を撮っている私ですが、まだデジカメが登場する前は、もちろんフィルムを入れる、アナログ式のカメラで
撮っていました。そして、そのアナログ式のカメラの中で、私が所有した初代のカメラがこれです。OLYMPUS-PENと書いてありますが(左側)、
1959〜64年に製造されていた物です。元々は、大学で写真部に所属していた父が使用していました。それが、もう新しい物を買って
使わなくなったというので、私に譲ってくれたのでした。1979年、私が6歳の時の事です。まだ幼稚園の分際で、『マイカメラ』を持った、
生意気な小僧でしたが、当時はまだあまり撮影には熱心ではなかったと見えて、その後もそんなに回数使用した事は、ありませんでした。
結局このカメラは、1年〜1年半ほど『第二の人生』を送った後、『引退』となり、私の部屋で、ずっと“アクセサリー”として保存されていました。
一人暮らしになって以降も、実家の自室にあったこのカメラですが、最近、今の家に持ってきました。いや〜しかしよく今まで残っていたもの
です。父がもともといつ購入したのかは分かりませんが、恐らく17〜18年の現役生活だったと思います。かなり長かったのではないで
しょうか?それにしても今のカメラと比べると、手に持った感覚が、ズッシリと重いです。そして、小型なのですが、何か『大きい』と感じますね。
手巻き式のネジとか、アナログ画面のフィルム残数表示、フィルムの巻き取り器も大変懐かしいですし、モニターも無い、至ってシンプルな
リア面というのも、今見ると逆に新鮮ですね。これからも大切に保存していきたいです。それにしても、まだアナログカメラだった頃は、写真を
撮るというのは、どちらかというと『特別な行為』で、『記念のための』撮影でした。それ故、あまりにも日常的な場面を撮るのは、照れくさくて
緊張し、出来なかったものですが、デジカメとなった今では、撮影は『記録のための』ものとなりました。毎日、思い立ったら即撮影が当たり前
という今の私の生活ぶりや、『お気軽記録』の時代を、この『骨董品カメラ』は、どんな思いで見つめているのでしょうか?
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| 1993年7月、黒部峡谷鉄道を訪れた時に手にした、案内パンフ兼時刻表です。この前日には黒部ダムを訪れていました。 “日本一深い峡谷を行く”という謳い文句がありますね。そして『中部山岳国立公園』というのは、黒部峡谷を中心とした 観光整備地の正式名称です。左写真にオレンジ色で大きく書かれた文字の下には、小さく白文字で、「運行期間 11月30日まで」 と書かれていますが、これは現在でも変わっていません。そして右側は、文字が小さ過ぎて見えないのは申し訳ないですが、 93年(平成5年)当時の時刻表です。季節によってダイヤが異なっており、ここには、5月1日〜7月19日、7月20日〜8月31日、 9月1日〜30日、10月1日〜11月10日、そして11月11日〜30日までと、5種類の時刻表が書かれています。因みに現在は、各 季節ダイヤの区切り目が若干変更されていまして、5月1日〜7月13日、7月14日〜8月31日、10月1日〜11月15日、11月16日 〜30日となっています。いずれにしても、キメの細かいダイヤを編成する上、運休期間には豪雪による被害を避けるため、レール から架線まで撤去しなくてはならないというのは、本当に他では味わう事のない苦労だと思います。名物であるトロッコ列車に ついては、現在も当時と同じデザイン、同じ形の車両が走っています。また、当時も今も、座席は完全予約制ですので、ご注意 下さい。この黒部峡谷鉄道のファンは、冬季は春の到来がさぞ待ち遠しい事でしょう。 |