三賞同時受賞者の人数・顔ぶれ 〜安芸乃島編〜
現在、千田川親方として、高田川部屋の部屋付き親方となっている安芸乃島は、三賞受賞回数史上1位という輝かしい記録を誇っている。もっとも安芸乃島本人は、最後まで目標はあくまでも大関としており、その意味では、三賞の回数が増えたというのは、本人にとっては、必ずしも喜ばしいとは言えない記録になっているのかも知れない。しかし、結果的に三賞を史上1位の回数受賞したということで、それに付随するちょっぴり面白い(かも?)記録に着目する事が出来た。それがこの、『同時受賞者の人数・顔ぶれ』である。
一人しか出ない優勝と違って、三賞は複数の力士が受賞する事が出来る。従って、受賞する回数が多ければ多いほど、一緒に三賞を受賞した『仲間』の顔ぶれも増えるわけで、これも三賞の受賞実績を表す、一つのバロメーターになるのではないかと思う。そして同時受賞者の中には、その場所が生涯唯一の三賞、となった力士も何人か出てくる。そのような力士にしてみれば、「あの名力士と一緒に三賞受賞記念写真におさまった」というのは、名誉な思い出になるに違いないし、三賞を受賞した“時代”が、非常によく分かるというものである。
それでは、安芸乃島の三賞受賞における、同時受賞者の顔ぶれを、以下の表で振り返ってみることにしよう。
| 場所 | 受賞三賞 | 三賞 受賞回数 |
三賞同時受賞力士 ()内数字は回数 |
当場所 安芸乃島番付 |
当場所 安芸乃島成績 |
| 昭和63年名古屋 | 敢闘賞 | 1 | 逆鉾 | 前頭10 | 11勝4敗 |
| 昭和63年秋 | 殊勲賞 | 2 | 水戸泉・花ノ国・琴富士 | 前頭2 | 8勝7敗 |
| 平成元年春 | 敢闘賞 | 3 | 板井・益荒雄 | 前頭1 | 8勝7敗 |
| 平成2年春 | 殊勲賞 | 4 | 霧島・両国・久島海 | 前頭2 | 8勝7敗 |
| 平成2年夏 | 殊勲賞・技能賞 | 5,6 | 琴錦・孝乃富士 | 前頭1 | 10勝5敗 |
| 平成2年名古屋 | 敢闘賞 | 7 | 琴錦(2)・春日富士 | 関脇 | 9勝6敗 |
| 平成2年九州 | 殊勲賞 | 8 | 琴錦(3)・曙 | 前頭1 | 10勝5敗 |
| 平成3年夏 | 敢闘賞 | 9 | 貴花田・貴闘力 | 前頭1 | 9勝6敗 |
| 平成4年春 | 殊勲賞・敢闘賞 | 10,11 | 栃乃和歌 | 前頭2 | 12勝3敗 |
| 平成5年名古屋 | 殊勲賞 | 12 | 琴錦(4)・若ノ花 | 前頭10 | 9勝6敗 |
| 平成7年初 | 敢闘賞 | 13 | 魁皇・大翔鳳 | 小結 | 11勝4敗 |
| 平成7年春 | 敢闘賞 | 14 | 寺尾 | 関脇 | 11勝4敗 |
| 平成10年夏 | 技能賞 | 15 | 琴錦(5)・小城錦・出島・若の里 | 小結 | 10勝5敗 |
| 平成11年初 | 技能賞 | 16 | 千代大海・武双山・千代天山 | 前頭3 | 11勝4敗 |
| 平成11年春 | 殊勲賞 | 17 | 雅山・千代天山(2) | 小結 | 11勝4敗 |
| 平成11年秋 | 敢闘賞・技能賞 | 18,19 | 栃東 | 前頭3 | 11勝4敗 |
※三賞同時受賞力士で、四股名を青字で書いてある力士は、その場所が唯一の三賞受賞 平成6年夏場所までは、四股名は安芸ノ島 |
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以上、安芸乃島の三賞受賞歴と、同時受賞力士の顔ぶれを列挙してみた。同時受賞力士の人数は、合計28人である。そして琴錦とは5回、千代天山とも2回同時に受賞しているから、延べにすると、同時受賞者は33人ということになる。この人数を見ても、実に賑やかで、そして華やかであると思う。
最初は昭和63(1988)年名古屋の逆鉾から、最後は平成11(1999)年秋の栃東まで、三賞受賞期間は足掛け12年にもおよんでおり、しかもほとんどを上位(前頭3枚目以内)で受賞していて、いかに安芸乃島が息長く、上位で実力者ぶりを発揮していたかがうかがえる。
受賞時の成績も、最初の内は8勝7敗が続いていた。これは、勝ち越せば即三賞と言うほど、星の内容が充実していた(つまり上位に勝っていた)反面、上には強くても、トータルではやっと千秋楽で勝ち越せる力しか無かったという、幕内初期の頃の安芸乃島独特の現象を表している。しかしその後は全て9勝以上での受賞となり、もはや8勝止まりでは、受賞するに足らないと評価されるようになったと思われ、このあたりの、受賞条件の移り変わりを見るのも面白い。最後の6回の受賞は全て2桁で、しかも内5回が11勝である。
平成11年は、32歳になった、もうベテランと言われる年だったにもかかわらず、3回も11勝で三賞を受賞したのは、特記に値する記録ではないだろうか?
さて、同時受賞者の“豪華な”顔ぶれだが、私が見ていて最も『意外だ』と感じたのは、寺尾との同時受賞が、平成7年春場所という、寺尾にとって最後の三賞となった場所1回切りということである。
実は安芸乃島は、平成元年名古屋場所と秋場所、2場所連続して、千秋楽に負け越して殊勲賞受賞を逃している。このどちらかでも受賞していたならば、三賞は通算20回となり、殊勲賞も8回になっていたところだったが、この両場所、三賞を取ったのが寺尾だったのだ。同じ時期に上位を倒して館内を沸かし、イメージとしては、この時期に同時受賞していても全然不思議ではなかったと思う。ところが、安芸乃島自身が惜しくも負け越したため、結局平成7年になって、既に大ベテランとなっていた寺尾との、『三賞初競演』と相成ったのである。この平成元年の両場所、もし勝ち越して殊勲賞を取っていれば、琴ヶ梅とも同時受賞になっていた。
延べ33人と同時受賞しているが、琴錦と5回も『競演』をしている点が注目される。お互い、小兵で三役常連だった実力者である。対戦成績の相性は極端に悪かったが(9勝39敗)、三賞競演の相性は良かった。そして、琴錦と同じく、小兵で三役・三賞常連だった力士に貴闘力がおり、三賞は同部屋でもいくらでも受賞可能だし、こちらとも競演常連かと思いきや、意外と1回しかないのは驚きである。それだけではなく、同じく同部屋で、時を同じくして三賞常連になっていた若貴兄弟とも、同時受賞は1回のみ。琴錦のほかに2回以上同時に受賞した力士が、通算で3回しか受賞していない千代天山であることも、何とも意外な結果である。
安芸乃島、晩年は辛口で、若手陣の相撲の論評もする、そして若手の頃はインタビュールームでひたすら無口・無表情をとおす(?)、味わい深い力士であった。